この投稿では、行き過ぎた個人主義や未婚化・晩婚化を政府が放置した結果、少子化が深刻化したという主張に対して、ファクトチェックを行い、原因を矮小化しており、根拠が薄弱であることを示している。
戦前の人口政策がもたらした致命的な問題が、現在の少子化に大きな影響をもたらしていることなどを明らかにしている。

これまでの投稿で、現在の少子化危機が、GHQの陰謀論や日本政府のGHQや国内の政治家や世論の圧力による産児制限政策説にその原因があることをファクトチェックで成立しがたいことを述べてきた。また、1935年段階で日本政府はかなりの精度で2025年までに及ぶ人口推計モデルを構築し、日本が少子化・人口減社会になることを予想し、当時の為政者の認識にも影響を与えていたこと示した。

さて、これまで俎上に載せてきた産経新聞の一連の記事の最後の第3記事について、ファクトチェックをしていこう。

第3記事の要点をまとめると以下のようになる。

①少子化の大きな原因は、未婚・晩婚化が大きな理由であり、その原因は日本人の結婚や出生に対する価値観が決定的に変わったことによる。

②戦時中の家制度(家制度を戦時中と戦前と区別する必要はないと思うが)は、結婚=家と家の結びつき、戸主が結婚相手を決めることが当たり前だった。「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立」とする憲法24条が決められたおかげで(本記事では、この条項もGHQの「人口戦」の罠とされる)「結婚しない自由」が当然視されるようになり、行き過ぎた個人主義につながり、これが現在の未婚・晩婚と無関係ではなく、少子化につながっている。

③こうした価値観の変化は戦時中の「産めよ殖やせよ」政策の批判や国民の反発を恐れ、出生数減の危機を知りながら、国会議員や官僚は結婚や出産の奨励政策に及び腰となり、少子化対策は後手に回った。

AによってBが生じたという因果関係で、この論理が組み立てられていると単純に考えるならば、非AならばBは生じないという構図になる。そうすると、いきすぎた個人主義の生じさせない手段、―例えば、憲法第24条の削除か「結婚しない自由」を制限する条項の創設、家制度の復活があれば、少子化は生じないとなる。

第3記事は、上記の結論の後に、「産めよ殖やせよ」政策と称される戦前の「人口政策確立要綱」を引き合いに出し、戦前の出生率の長期化下落傾向と近隣諸国(現在でいう、中国・ソ連・インド)との「人口戦」が背景あったことにふれ、現在大国に成長した中華人民共和国に対抗するにも人口減傾向に入った日本の国力向上の指標として人口を増やすことが重要と締めくくっている。

その政治的危機感や「結婚観・出生観の決定的変化」という視点はさておいて、ファクトチェックというより論理学的な整理を行ってみよう。

第3記事で述べている通り、戦前の日本は1920年(大正9年)の出生率をピークとして、出生率は下落傾向に入っていた。

「出生に関する統計」の概況 人口動態統計特殊報告(厚生労働省大臣官房統計情報部 報道発表資料2002年3月15日掲載) 1 出生の年次推移(1)年次推移(https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/tokusyu/syussyo-4/syussyo1-1.html

合計特殊出生率についても、1925年(昭和元年)5.10、1930年4.71と下落傾向に入っていたのである。

国立社会保障・人口問題研究所HP

https://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Data/Relation/1_Future/2_syutsu/1-1-B02.htm

家制度が基本であった戦前において既に当時の為政者をして危機感を表明させるほど、出生率・合計特殊出生率の低下が始まっていたということは、憲法24条の成立に主要因があったわけではないことを示している。特に、戦前の出生率や母体保護をめぐる社会情勢について、以前紹介したこともある「児童保護事業」(伊藤清 著 社会事業叢書 第六巻 1939年 常磐書房)では、

「・・・就中現下の時局に鑑み特に留意すべきは母性保護の見地より見た婦人勞働の問題である。

曾て防織製糸工業に於て重要なる生産勞働力として考へられて居た婦人勞働力は近代工業に於ける機械工業乃至化學工業等に於ても極めて有力なる生産勞働力として其の價値を實證しつゝある。其の一部門に母性勞働力があり而も其の大部分が着て母性たるべき婦人に依つて滿されてゐると謂ふ事實から婦人勞働力の價値認識が上昇すればする程其の労働力の追求が反面に於て母性の経を伴ふものであることが豫想せられるのである。故に於て斯かる母性の蹂躙に依る労働力の伸長ではなくて母性の保護確認に依って此の労働力の伸長を遂げしむることが母性保護の見地から極めて重大な問題となるのである。

次に一應我國の母性層に對する統計的観察を試み參考とする。現在母性保護事業の對象として勝るものは國の全母性ではなく自ら限定されて居るが、然しそれは決して本質的な限界ではない。昭和十年十一月行はれた國勢調査によれば調査の際に於ける有配偶の母の總數は、左表の通り一二,五一六,一六七人である。此の外無配偶母性を合すれば千五百萬以上であらう。吾々が北の千二百萬の母性の内容を検討するに當り特に注目すべきは年齢別出生率に於て出生率の最高位が二十歳乃至二十四歳であると謂ふ事實と一方婚姻の平均年齢が瀬次高齢となり昭和十一年於ては、二四.七二歳であると謂ふ事實との相關關係の原因及其の結果の影響である。即ち婚年齢の上昇は最高位の出生能力を回避する結果となり、人口増加を阻むことなる。」(P38-39)

まして、保育所に至っては

「四、保育所の將來

社會生活の複雑化と、經濟的逼迫並に産業の分化は自然母性をして就労の機會を多からしめ延て育児の閑却せられる結果となり、保育所設置の要望は益々熾烈となつて居る。殊に今次事變に際しては都市農村を通じ生産力の維持増進を要するにも不拘勞力の不足を告げ婦人勞働力に俟つ所極めて多い。前も一而銃後人的資源の確保は是又戰時戰後を通じての一大國策たるを失はない。

從って將來の國家擔ふ兒童の健全なる發育を遂げしむることは絕對的要件である。玆に於て父母に代り之等の兒童に適切なる保護を與える保育所の擴充は現下喫緊の要務であると謂はざるを得ない。」(P105-106 )

とあり、女性の社会進出、労働者への進出が、母体を損なったり、婚年齢を引き上げ、出生能力が低下し、出産数が減ってしまう、乳幼児の家庭での保護保育が困難になるという現在でも通用するような原因や背景がすでに1930-40年代に社会問題として生じていたし、当時の為政者は社会経済上の問題と認識していたのである。前回紹介した人口問題研究所「将来人口の計算に就て」人口問題研究第1巻第2号巻頭論文(1940年5月刊)(https://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/14143701.pdf) は女性労働者の地位の向上といった社会の流れの文脈の中から計算されるべくして計算されたとも言えるだろう。

第3記事でも紹介された1940年1月22日に第2次近衛文麿内閣によって閣議決定された「人口政策確立要綱」(https://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/14144606.pdf)は、こうした社会の流れを押しとどめる内容であった。

原文通りに記載しながら抜粋すると

①「右の趣旨に基き我國の人口政策は内地人人口に就きては左の目標を達成することを旨とし差當り昭和三十五年總人口一億を目標とす、外地人人口に就きては別途之を定む」

②「出生の增加は今後の十年間に婚姻年齢を現在に比し概ね三年早むると共に一夫婦の出生数平均五兒に達することを目標として計来す」

③「高等女學校及女子青年學校等に於ては母性の國家的使命を認識せしめ保育及保健の知識、 技術に関する教育を強化徹底して健全なる母性の育成に努むることを旨とすること」

④「女子の被傭者としての就業に就きては二十歳を超ゆる者の就業を可成抑制する方針を探ると共に婚姻を阻害するが如き雇傭及就業條件を緩和又は改善せしむる如く措置すること」

⑤優生思想の普及を図り、國民優生法の強化徹底を期すること

一番目の人口目標については、後でふれるとして

二番目・三番目の内容は、一般の女性労働者については就労年齢制限を行い、早く結婚させ、それによって女性の出産能力が高い年齢時、子どもをたくさん産むようにする、高等教育を受けた女性には、母性や出産を国家的な使命と「教育」するという、現在ならば女性を「産む機械」扱いしていると批判されるような内容だ。こうすることで、平均出産数を4から下り気味であったものを5人にしようという計画だったわけである。婚姻数を増やし、出産能力をあげて、人口を殖やすというのが、「産めよ殖やせよ」の本質といえるし、産業構造が変化し、社会構造が変化していく時代の流れを、戦争遂行体制作りのために抑圧逆転させようとする試みであったのだ。

近衛内閣は、先立つ1月8日に東条英機陸軍大臣により、「戦陣訓」(https://www.library.pref.nara.jp/event/booklist/W_2013_02/senjinkun.html)が示達され、着々と列強を相手にする総力戦体制への国家改造をすすめ、1941年12月真珠湾攻撃をもって、太平洋戦争を起こしていくのであるが、「人口政策確立要綱」はその総力戦を戦い抜くための人口政策であり、大日本帝国の国力を盤石にするためのものであった。優生思想も国力増進の流れの中に位置づけられている。

大日本帝国は太平洋戦争に破れた結果、この国力を増大させる壮大な計画の収支決算は人口の側面から見てどうだろうか?前回の投稿で紹介した人口問題研究所「将来人口の計算に就て」人口問題研究第1巻第2号巻頭論文(1940年5月刊)(https://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/14143701.pdf) の統計予測モデルは、死亡率と女性の一般的な出産率を統計的に求め、モデル計算に変数として活用したものであった。つまり、平時つまり戦争等の大変動によらない社会の自然な変化モデルと言い換えてもいいだろう。この平時モデル(以下、推計モデルと統一する)と実際の人口動態を比較すると、「人口政策確立要綱」や戦争といった人為的な政策介入が与えた影響が数量的に可視化できることとなる。

先ず、1億人人口の達成時期について見ると、1960年の実際の人口は92,841,000人で1億人までには800万人足りなかった。実際は7年後の1967年に1億人を超え、推計モデルでも1965年~1970年の間に1億人を超える予想であったことが見て取れる。この事実から見ても、「人口政策確立要綱」がいかに急進的な政策であったかが見て取れる。

これまでは、推計モデルについて総数だけでの評価をしてきたので、より細かい評価をしてみよう。

*人口問題研究所の論文は、閲覧してもらえば分かるが、1950-2025年16時点において0-95歳20世代の動態を計算している。コンピューターも電卓もない時代に18✕20=360要素を計算するという、途方もない計算が論文の中に開陳されているのだが(もしかしたら、研究所総力を挙げてチームでやったかもしれない)この一つ一つの要素に対応する実際の人口数を対応させて、誤差を計算し、さらにその誤差の程度から推計モデルの条件設定(第2仮定)の修正を目指せば、恐らく、推計モデルの正当な評価ができるのだろうが、Looker-on一人で行うのは途方もない労力と知力と時間を必要とすることだけは想定で来た。今後、この人口問題研究所の膨大な研究論文を専門家や後進の歴史家が研究、追試してくれることを期待している。

先ず、2025年推計モデルと実際の人口数の比較を見てみよう。0-19歳世代の誤差比率(推計値―実際値/実際値)を算出してみると、30-58%プラスということは、推計値>実際値であり、推計モデルの予想より生まれてきた子供は少ないということを意味している。その逆に70-歳世代は、誤差比率が40%以上マイナスということは、推計モデルよりも高齢者が生き残っていることを意味している。

推計モデルで70歳以上の人口が全人口に占める割合は、10%程度あったにもかかわらず、実際値はその2-3倍となっている。70年前の1955年と比較すると、正に70歳以上の世代は、70年前0-29歳世代であったことで類推すると、

生存率(%)=2025年70歳以上の世代総数/1955年0-29歳世代総数×100

1955年0-29歳世代は生存率55.6%と2人に一人が現在まで生き残っている計算となる。(推計モデルでは19.8%なので、5人に一人の生存率)医療の進歩もあるが、この世代がバイタリティーある世代であったことが見受けられる。しかし、敗戦直後1945年から10年たち混乱期が収まり、「戦後が終わった」と言われた1955年段階を全体的に概観すると、推計人口より全体800万人減少しており、0-29歳世代の中でも、若い世帯を構成すべき25-29歳世代男性は100万人近く減少しており(戦死が主な理由と推定される)0-9歳世代についても200万人近く少ない、即ち生まれてこなかったか死亡したという推計モデルからすでにかなりいびつな人口構成が出来上がっていたということを示している。これが、「人口政策確立要綱」の収支決算である。推計モデルを平時即ち戦争をしなかったイフの過去とするならば、戦争と軍国主義がもたらした、もしくは失った人口の初期値がどのように作用するのか、人口は一度減り始めたら回復は難しいのだ。「人口政策確立要綱」は政策的に日本人口に致命的な傷を残したと言える。

「人口政策確立要綱」の理論構成を詳しく見てみよう。

第3記事にも引用された「国民優生図解」(1941年厚生要望局編)(https://dl.ndl.go.jp/pid/1064563 国立国会図書館デジタルコレクション)でその思想を見てみると

1.健全人口の減少

文明詳園の共通の悩みは、その人口増加率の低下である。現在人口増加率が低下する國は将来の繁榮は望むべくもない。人口増加率の低下は二つの方面から考へられる。一つは出生率の減少であり、二つには死亡率の増加である。文明が進み衛生狀態がよくなるに従ひ文明諸国では死亡率が年々減少して来た。それにも拘らず人口の増加率が低下したのは事も出生率の低下による。人口の減少はその民族の滅亡を意味する。文明各國が出生率の向上に懸命な努力をつゞけつゝあるのも當然である。

現在文明諸國の大多数は、出生率と死亡率の差引プラスで、人口の自然増加となつてゐるが、その増加率は年々低下の一途を追つてゐる。殊にフランスは差引 「マイナス」で、入口の自然減少を来してみる悲しむべき狀態にある。

これに反してドイツは、その懸命な多産政策が効を奏して近年人口増加率の向上をみてゐるのは注目すべき事實である。

我國も相當數の自然増加を保つてはるゐものゝ、出生率は低下しつつあるので、 油断はならぬ、殊に昭和13年には事變の影響もあつたけれども一扉にして30萬人の減少をみたのである。」

*事変とは、いわゆる満州事変のこと

2.列国の出生率及死亡率の推移

出生率はいつまでも上昇を続けない。やがて停止し、そして漸次低下を示すのであるが、一度低下の傾向を示すと止るところを知らぬのが例であつて、回復は仲々困難である。

叉高い死亡率も漸次低下するのであるが、これは一定の率で停止し(これを安定死亡率といふ)末には稍々(しょうしょう)増加する。

從つてこれ等の關係から、列國ともに自然の推移に乗せれば人口の減少は免れ得ないことが判るのである。

3.日本及獨逸の各歳別人口構成圖

歐洲大戦後の街の各人口構成と日本のそれを比較して見るとき第一に目に着くのはその形である。獨造では壷形であり、日本ではピラミット形である。 壷形は乳児や小児の数が青壯年より少い時に出するものであり、非常に不健康な形である。青壯年に遠するまでには幾人かゞ死亡して行くのであるから、自然の形態では幼少のもの程數が多く形全體はピラミットにならなければならない。 壷形になる原因は出生率が急激に減少した時に現はれるものであり、獨逸の例は實にさきの歐洲大戰以後の出生率減少によるものと見られる。獨逸當局はこの為に出生率の向上に懸命に努力して居り。1935年に至つて若干の効果を擧ぐるに及んだことは前述の通りである。日本は幸にしてピラミッド形であるが、将来とも永久に而も底の大きいピラミット形を續けることに努めねばならない。この目的を達する唯一の道、それは出生率の増加である。

4. 日本人の出生力

民族の發展と出生率の増加は平行する。我が国の出生率は現在低下しつゝあることは寔(まこと)寒心すべきである。これが低下の一因として所謂文化の惡影響を擧げることが出來る。

農民たちは一夫齢で30年間に6人平均産むのに知識階級の一夫婦は4人より産んでゐない。世の所謂文化人は今こそ日本民族のために農民達に負けない様に產兒報國の定を擧げねばならない。

6. 國民優生の必要

健全な人々に出産減少傾向があるのに関して不健全な者は一向に減少を示さないのが例である。此の様な狀態が續けば民族の平均実質は低下し國力は減退する。之を民族變質と稱し古代文化民族は此の結果衰亡したことは周知の事實である。艾現在歐米文化民族が等しく此の現象に直面して深則に悩んで居るのである。

圖(ず)は此の現象を解り易く示したものであって、現在假りに健全者と不健全者が回數にあり、1世代を30年とし、前者が2人後者が4人の子供を持つと假定した時は將來不健全者の数が壓倒的に健全者を凌駕するに到る経過を示したものである。寔(まこと)恐るべきことゝ言はねばならない。」

*そして、「国民素質の低下」を「優良な素質を持つ者が少なくなり、劣等な素質を持つ者が増加する」現象とし、「逆淘汰」とも名付けている。

ここで語られている逆淘汰理論やその背後にあるエリート意識や優生思想については、戦前の国民優生法や戦後の優生保護法についての投稿で評価を論ずることとなるが、今ここで押さえておくことは当時の為政者の思想にこのような社会認識があったということである。

はからずも、当時の為政者の認識では、ドイツの人口構成が壷型に変わるほどの原因は、出生率の急激な減少にあり、その原因はドイツが第1次世界大戦に参戦し、敗北したことに見ていたのだ。論理学の問題として、Aが原因でBがもたらされた。同様な条件下で、Bと同じ現象Cがもたらされた。帰納法的に原因はAであるとなるはずである。一度目は悲劇だが、二度目は喜劇だ。日本の当時の為政者(特に戦争を主導した人々)が、開戦に踏み切り、戦争に敗北し、人口構成にもたらした大きな傷は70年の時を経て、致命的なかたちに発展しつつあるのだ。

ここからは、ソーシャルワーク的に為政者たちの心理的な側面に想像を巡らせてみたい。自分たちの判断ミスで相手それも自分の愛する相手(例えば、国)に致命的な行為をしてしまった時、加害者側はどうするであろうか?意識的であれ、無意識的であれ、防衛機制を働かせて、自分の過ちによって自分自身をさいなむ気持ちに対して心のバランスを取るのである

代表的な防衛機制には、以下のようなものがある。

抑圧   不愉快な思い、葛藤・不安を無意識のうちにどこかに押し込める

投射   感情の主体と客体を入れ替えて自分を守る(自分でなく相手が・・)

反動形成 相反する気持ちの一方を押し込め、他方を強調する

転位   手に入れることができないものがある場合、代わりのものを手に入れる

否認   故意に意識に上らせない

合理化  自分の本来の気持ち・動機を隠して都合の良い理屈で正当化する

補償   劣等感・不快感・苦痛を別のもので補う

昇華   社会的に価値の高い行動を敢えて取る

第1次ベビーブームが3年で終結したという問題に対して、GHQの陰謀論、日本政府の産児制限、優生保護法で国民が過度の人工妊娠中絶や避妊に走った等々百花繚乱だが、前提的に、設問の前提条件である負けた戦争によってもたらされた人口構成の問題がほとんど問われていないように思われる。為政者たちまたその支持者たちは、自分たちの判断ミス(開戦と敗戦)を様々な理屈で正当化する、問いとして発しない(抑圧、否認、合理化)論理の殿堂を構築してきたのではないかと斜めに見てしまう。そして、この防衛機制の厄介なところは、現実が深刻に進めば進むほど、防衛機制もますます手が込み、合理的、健全な範囲を超えて、不合理な機制(言説)を取ることもあるということだ。こんな風に分析してしまう自分はやはり、ひねくれもの、傍観者である。

ただ、当時の為政者やその支持者の意思を受け継いできた方々には、歴史を虚心坦懐に見て昇華してほしいと心から願っている。

一旦、少子化問題は横において、次回からは障害者支援施設のシリーズに戻ろうかと思っている。長い投稿に付き合っていただき感謝します。

入所施設、児童虐待、少子化をつなぐもの⑯「少子化」はいつから問題なのか。(序論)

入所施設、児童虐待、少子化をつなぐもの⑰少子化の遠因、第1次ベビーブーム3年終結の理由を考える

入所施設、児童虐待、少子化をつなぐもの⑱-1GHQは本当に人口制限、産児制限を推進したのか(ファクトチェック)

入所施設、児童虐待、少子化をつなぐもの⑱-2:戦後日本政府は圧力に屈して人口制限、産児制限を推進したのか(ファクトチェック)

知的障害・入所施設編

児童虐待編

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