さて、「少子高齢化」である。
*久々のシリーズであると同時にあまりにも世間では話題になりすぎていて食傷気味かもしれないが、我慢して読んでもらえたらうれしい。ただこれから書くことは、あまりこのテーマを論ずる方々は取り上げてこなかった内容であるとも思っている。
令和5年12月に政府は、「こども未来戦略」~次元の異なる少子化対策の実現に向けて~を発表し、2030年を「日本のラストチャンス」として、2030年に少子化のトレンドを挽回しなければならないと強い決意で、こども・子育て政策を強化する立場を表明している。
「未来戦略」ではこれまでの現状とこれからの方向性を次のように記している。
1.こども・子育て政策の課題
○ こども・子育て政策については、過去30年という流れの中で見れば、その政策領域の拡充や安定財源の確保に伴い、待機児童が大きく減少するなど一定の成果はあったものの、少子化傾向には歯止めがかかっていない状況にある。
実際、1990年に特殊合計出生率が1.57とそれまで日本において最低だった「丙午」昭和41年(1966年)の特殊合計出生率1.58を下回るいわゆる「1.57ショック」以降、政府は子育て支援を躍起になって行い始めた。それから35年近く経過し、政府等が様々な対策を取っているが、「保育所の待機児童問題」くらいしか成果(と政府は見ている)が上がっていないと政府は認めたのだ。
その背景として、
○ 少子化の背景には、経済的な不安定さや出会いの機会の減少、仕事と子育ての両立の難しさ、家事・育児の負担が依然として女性に偏っている状況、子育ての孤立感や負担感、子育てや教育にかかる費用負担など、個々人の結婚、妊娠・出産、子育ての希望の実現を阻む様々な要因が複雑に絡み合っているが、とりわけ、こども・子育て政策を抜本的に強化していく上で我々が乗り越えるべき課題としては、以下の3点が重要である。
として、次の3点を重要課題と上げている。
①若い世代が結婚・子育ての将来展望を描けない。
②子育てしづらい社会環境や子育てと両立しにくい職場環境がある
③子育ての経済的・精神的負担感や子育て世帯の不公平感が存在する
①については、更に詳しく解説されているので「未来戦略」から引用しよう。
○ 若い世代において、未婚化・晩婚化が進行しており、少子化の大きな要因の一つとなっていると指摘されている。
○ 若い世代(18~34歳の未婚者)の結婚意思については、依然として男女の8割以上が「いずれ結婚するつもり」と考えているものの、近年、「一生結婚するつもりはない」とする者の割合が増加傾向となっている。さらに、未婚者の希望するこども数については、夫婦の平均理想こども数(2.25人)と比べて低水準であることに加えて、その減少傾向が続いており、直近では男性で1.82人、女性で1.79人と特に女性で大きく減少し、初めて2人を下回った。
○ また、雇用形態別に有配偶率を見ると、男性の正規職員・従業員の場合の有配偶率は25~29歳で27.4%、30~34歳で56.2%であるのに対し、非正規の職員・従業員の場合はそれぞれ9.6%、20.0%となっており、さらに、非正規のうちパート・アルバイトでは、それぞれ6.2%、13.0%にまで低下するなど、雇用形態の違いによる有配偶率の差が大きいことが分かる。また、年収別に見ると、いずれの年齢層でも一定水準までは年収が高い人ほど配偶者のいる割合が高い傾向にある。
○ 実際の若者の声としても、「自分がこれから先、こどもの生活を保障できるほどお金を稼げる自信がない」、「コロナ禍で突然仕事がなくなったり、解雇されたりすることへの不安が強くなった」などの将来の経済的な不安を吐露する意見が多く聞かれる。また、「結婚、子育てにメリットを感じない」との声や、「子育て世帯の大変な状況を目の当たりにして、結婚・出産に希望を感じない」との声もある。
この分析の論理展開は、若い世代(18~34歳の未婚者)には結婚する意志があるにも関わらず、所得・雇用形態からくる生活の不安定さが結婚(想定されているのは「法定婚」であろうが)を妨げている。結婚できないから、こどもを生まない。まして、希望する出産数も2人を下回っている。つまり、若い世代(18~34歳の未婚者)に対しては所得・雇用保障が先ず大事だとしている。(家族形態や価値観の多様化という割には、法定婚からの出産という点からしか分析していないのもどうかと思うが…)
人口が増えるというのは、当たり前だが、仮に生殖能力がある男性と女性が同数いて、父親母親の役割が出産とともに固定されたとしたら(つまり、他の男女と生殖行為を行わない)、最低2~3人のこどもを生まないと次世代は維持若しくは増えないことになるのは自明だろう。その意味で、若年の未婚男女が1人ぐらいしか(余裕があれば2人目を考える)こどもを生むことを考えていないのは確かに危機的だ。人口問題の恐ろしさは、どのカップルも一人しか生まなければ、次の人口は半減し、急激に人口は縮小していくという指数関数的逓減を引き起こすことだ。
実際「少子化」の問題というより人口問題は、近代・現代日本の大きな問題であり、35年前に突如降ってわいた問題ではない。
我が国では、戦前から国家として体制を作り、人口問題・調整については対応をしてきた。国立社会保障・人口問題研究所HPは、昭和14年(1939年)から国が人口動態をどのように分析し、政策を立案してきたかを見るための史料の宝庫だ。
「人口問題研究」(Journal of Population Problems 一般財団法人 厚生労働統計協会 現在は年4回刊行)(https://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/sakuin/jinko/Jsakuin2.htm)
「人口問題審議会」(https://www.ipss.go.jp/history/shingikai/index.asp)
人口問題に対する分析が時系列的に見ることができるので貴重な資料群と言える。
人口問題審議会資料において、「出生率の低下傾向について注意を促している」と摘要で紹介されているのは、「出生力動向に関する特別委員会」報告書(1980年8月7日)であるが、実はすでにその10年前の「わが国人口再生産の動向についての意見」(中間答申)(1969年8月5日)や「最近における人口動向と留意すべき問題点について(答申)」(1971年10月21日)において、出生率回復のために対策を打たないと「労働力人口の急速な縮小」が現実化することを警告している。長文になるが、引用する。
「わが国人口再生産の動向についての意見」(中間答申)
「3 わが国最近の普通出生率は欧米における先進諸国のそれに比べて中ほどよりもやや下位にある。しかし。 わが国の人口は、これらの国々のそれに比べて、比較的低年齢の再生産年齢女子人口の割合が大きいから、普通出生率は出生力を過大に表現しているおそれがある。これらの年齢構造の差を除去して出生力を計量するいろいろの指標、ことに女子人口について、与えられた年齢別出生確率が一定であると仮定した場合、現在の世代の1人の女子が、一生涯に、平均何人の男女児を生むかということによって出生力を計量する合計特殊出生率でみると、わが国の出生力は、世界最低であるといわれているところの若干の東欧共産圏諸国のそれを除いて、最も低く、欧米における先進諸国の出生力はほとんど全部わが国のそれよりも上位にある。
4 わが国の人口が、世代後に、現在よりも減ることなく、ある大きさで静止するためには、現在の死亡確率の下において、2.13強の合計特殊出生率を必要とする。これは出生力からみた人口の静止限界である。 ところがわが国最近の合計特殊出生率は約2であるから、この出生力は、将来、人口が静止する限界を割っている。
5 特定の出生確率と死亡確率との均衡によって再生産力を計量するものに純再生産率がある。純再生産率が1であれば、単純再生産で、人口は、1世代後に静止するポテンシャルを、その値が1よりも大であれば、拡大再生産で、増加人口のポテンシャルを、その値が1よりも小であれば、縮小再生産で、減退入口のポテンシャルをあらわしている。なお、わが国最近の純再生産率は、若干の東欧共産圏諸国のそれを除いて、世界最低である。
6 わが国の合計特殊出生率が人口の静止限界を割ったのは昭和32年(1957年!)であり、純再生産率が1を割ったのは 昭和31年(1956年!)であって、それいらい、合計特殊出生率も純再生産率も静止限界を割ったまま10年以上も経過している。欧米における先進諸国でも合計特殊出生率や純再生産率が人口の静止限界を割ったことはめずらしくなかったが、そのような状態が10年以上も続いたことはまれであった。
7 要するに、わが国近年の出生力ないしは人口再生産力の人口学的意義は、(1) わが国の出生力も再生産力も若干の東欧共産圏語国を除いて、世界最低の部に属するということ。(2)出生力も再生産力も人口の静止限界を割っているということ、そして、(3)そのような状態が10年以上も続いているということにある。わが国の出生力、したがって、人口再生産力はこれらの人口学的基準からみて下がり過ぎているということができる。
8 わが国の人口はすでに1億をこえる大規模の人口であり、非常に高密度の人口であって、高い人口増加率は、これを歓迎することはできない。わが国の人口対策の目標は、人口の量的増加よりもむしろ人間能力開発の基盤として人口資質の向上におかれなければならない。しかし、上記のごとく、わが国の人口が 低い出生力によって縮小再生産のポテンシャルを内蔵していることは注意を要する。近い将来においてわが国の純再生産率が1に回復することが望ましい。このことは、また、年齢構造変動の激化をやわらげて、人口構造を安定的に推移させるためにも必要である。純再生産率が1に回復するためには、近い将来、死亡確率がさらに改善されることを考慮しても、2.10程度の合計特殊出生率、すなわち、1人の女子が、一生涯に、平均2.10人程度の男女児を生むことが必要である。
9 わが国人口の再生産力、したがって、出生力の回復についてはその条件を考慮することが重要である。 そのためには、出生力低下のおもな要因をかえりみることが必要である。その1つは、戦後における価値体系のいちじるしい変化である。戦前の直系家族制度は核家族化の傾向をたどり、家の伝承や存続のために出生するという態度はほとんどなくなった。老後の生活を子供にたよるというがごとき態度も非常に少なくなってきた。また所得水準の上昇によって、よりいっそう生活水準を高めるための努力がなされており、多くの子供を生んで育てることよりも耐久消費財が選択せられるようになっている。なおまた、子女の扶養負担はその教育費を含めて、家計のいちじるしい圧迫となっており、住宅や生活環境の不備もまた出生抑制の要因の1つとなっているとみられる。出生力回復の条件はこれらの出生制限の要因を緩和することにある。これらの要因のうち、家族に関する態度の変化は必然的な傾向であって、これを逆転することは困難であるが、所得水準のいっそうの上昇をはかるとともに子女の扶養負担の軽減、住宅や生活環境の改善整備など、経済開発と均衡のとれた社会開発が出生回復の緊急不可欠の条件であること深く考慮する必要がある。
10 上記の出生と死亡との変動、ことに出生の変動はわが国人口の年齢構造を急速度に変化させている。昭和22年から同24年まで戦後の出生ブームが続いたが、昭和25年から同32年まで、欧米における先進諸国でもいまだかつて経験されたことのないような急激な速度で出生減退が進行し、その後現在にいたるまで出生率はほぼ横ばいの状態であって、昭和30年以降,15歳未満の年少人口は、絶対的にも、相対的にも、急速に減少し、現在のような低い出生率が持続する限り、現在から近い将来においては、年少人口は横ばいないしは逓減の傾向をたどることが予想される。人口資質向上の見地からする年少人口の健全育成は、いずれの国のいずれの時代においても不変の人口政策であるが、一方、技術革新や経済的社会的発展が人間能力の開発を強く要求しているにかかわらず、他方、年少人口増加の現状と将来が上記のごとくである現在のわが国において、それは特殊の重要性をもつものといわなければならない。昭和37年7月12日,人口 問題審議会が行なった「人口資質向上対策に関する決議」が指摘しているごとく、家庭生活の強化、児童の健康管理の拡充、生活環境の整備、児童の事故防止、児童手当制度の創設など児童の扶養負担の軽減が 年少人口の健全育成という見地から積極的に考慮されなければならない、なお家庭生活の強化に関する基本的な問題の1つは、親がはっきりした「生きかた」についての考えをもって、制限された少数の子の背成によく順応するということにある。
11 15歳から64歳までの生産年齢人口は、出生ブーム期の出生者が生産年齢に入りこんだ昭和37年から同39 年の間において、かつてない激増をみせたが、昭和40年以降において急激な出生減退期の出生者が生産年齢に入りこむために生産年齢人口の年増加は急速に縮小し、その増加率は急激な低下頂向をあらわしている、また、老年人口が急速に増加することは後に記すとおりであるが生産年齢人口のなかでも中高年齢人口が、絶対的にも相対的にも、急速に増加することは注意を要する。これらの急増する中高年齢人口が 経済的、社会的変動によく順応してゆくように配慮されることが必要である。
(略)
14 しかしながら、15年を経た後において、もしも現在のような人口の静止限界を割った出生力や再生産力が持続するとすれば、労働力人口の急激な縮小が考えられるので、今からこの点の十分な配慮が必要である。」
10年後の「出生力動向に関する特別委員会」報告書(1980年8月7日)においては、近代・終戦直後の人口動態を以下のようにまとめた。
明治大正期から出生力は比較的穏やかであったが、既に低下傾向であったが(普通出生率 1931年大正9年36.2‰→1934年昭和9年29.9‰ 年率0.29‰での減少)、戦争中から繰り延べられた結婚と出生が集中的に発生し、いわゆる第1次ベビーブームを引き起こし、普通出生率も大正時代末期に戻り、ベビーブーマーは合計806万人で「団塊の世代」と名付けられるのだが、日本はこの世界的現象がたった3年で終わった。(先進国では、概ね10年近く続いている。)この間の普通出生率減少率は、年率1.88‰であるから、恐るべき減少率と言える。
その上で、
「結論
戦後ベビーブームが終ったあと、昭和30年代初期までに起った出生力低下は、夫婦の平均子供教の細小に裏付けられた本格的な出生力低下であった。それは戦前すでに一部の階層をとらえていた出生抑制の動機が戦後の厳しい生活状態の中で国民全体の間に広まり、また受胎調整が出生抑制手段として国民の間に浸透したことによって急速に達成されたものであった。出生力低下はほぼ30年代初期までで終了し、その後の出生力は低死亡率の下で人口再生産をちょうど維持するていどの低水準に安定した。
昭和49年以降出生力低下の兆候があらわれ、期間出生力の指標はいっせいに低下して現在に至ったが、われわれの分析の結果によれば、それは①ベビーブーム後の急激な出生減少がこの時期になって結婚、出産摘齡期人口の減少となってあらわれたこと、②進学率の上昇による若年層の有配偶率の低下、スペーシング(出産間隔の調整)によると思われる用配偶出生率の低下など。 要因によってもたらされたものである。また、出産力調査の結果によれば、昭和49年以降も出主力の最終的な姿である完結出生児数そのものはそれほど低下していないと判断される。これらの点からみて、49年以降の出生力は期間出生力でみるときわめて大幅に低下しているが、出生力の基調そのものはそれほど大きくは変化していないと見られる。それゆえ、たんに年齢別出生率を基礎にするのではなく、年齢別有配偶率、年齡別,結婚持続期間別有配偶出生率にまで分解した詳細な推計人口を計算すれば、50年代後半期から60年代にかけ期間出生カが緩かに上昇するという結果が得られる可能性もあるわけである。
但し、昭和52年実施の人口問題研究所の 7次出産力調査の結果を詳細に分析すると、夫婦の平均完結出生児数は2.2人程度であり、未婚その他の女性を含む全女子人口に関する完結出生児数は2.0人程度 になるが、これは明らかに人口再生産に不足の出生力であることに注意しなければならない。」
とし、
出生率が低下している西欧諸国と比較して
「ひるがえて日本の状況をみると、20~24歳層女子の 有配偶率はかなり低下しているものの、生涯未婚率はきわめて低いし、また夫婦の無子率は近年低下し、欧米諸国と比較して著しく低く、2子を中心とする「有子少産」のパターンが強く保持されている。これらの点からみて、結婚と出生に関する観念において日本と欧米諸国の間には、いまのところ著しい差異がある。」
として、全体としては、具体的な政策提言にも踏み込んだ10年前の提言と異なり、人口回復の可能性に言及する等楽観論をにおわすような政策提言もない学術的な提言であったと言える。
その後の展開をまとめるならば、「人口問題審議会の最終総会に寄せて」(阿藤誠2000)において以下のようにまとめられている。
「昭和60年代に入って少子化は一段と深刻さを増し, 平成2年の 「1.57ショック」 を契機として, 政府は厚生省を中心として少子化問題の検討に入り, 徐々に少子化対策を強めていった. 少子化問題こそは, 他の審議会に先がけて, 人口審が取り組むべき主要政策課題となるべきものであったが, 事務当局がこれを人口審の中心議題としてとり上げたのは,合計特殊出生率が1.39まで低下した平成9年(1997年)のことであった. この年, 第62回から76回まで実に15回の総会を開催し, 各界の有識者から意見を聴取するとともに, 起草委員会を設置し, 最終的に 「少子化に関する基本的考え方について-人口減少社会, 未来への責任と選択-」 と題する報告書を採択し, 関係各大臣に報告した.この報告書は, 少子化の原因は主として未婚化・晩婚化にあり, それは女性の社会進出の時代に仕事と家庭が両立し難いために起こっていると分析した. そして, 両立を妨げているのは, 固定的な雇用慣行と固定的な男女の役割関係であるとして, 企業社会と家庭・地域両面でのシステム変革の必要性を訴えた. この報告書は, 少なくとも行政レベルでのその後の各種少子化対策の基本理念を提供する画期的提言となった。」
報告書「少子化に関する基本的考え方について-人口減少社会, 未来への責任と選択-」が分析した内容が画期的かどうかは置いておいて、少子化の要因としては次のように分析している。
(1)未婚率の上昇(晩婚化の進行と生涯未婚率の上昇)
○ 未婚率上昇の要因
1.育児に対する負担感、仕事との両立に対する負担感
・家庭よりも仕事を優先させることを求める固定的な雇用慣行と企業風土。
・根強い固定的な男女の役割分業意識、男性の家事・育児参画が進まない実態。など
2.個人の結婚観、価値観の変化
3.親から自立して結婚生活を営むことへのためらい
(2)夫婦の平均出生児数(2.2人)と平均理想子ども数(2.6人)との開き
○ 夫婦の平均出生児数と平均理想子ども数との 開きの要因
1.上記(1)1.のほか、
2.子育てに関する直接的費用と機会費用の増加
3.子どものよりよい生活への願望
2.少子化の要因の背景
(1)社会の成熟化に伴う個人の多様な生き方の表れ
(2)女性の社会進出とそれを阻む固定的な男女の役割分業意識と雇用慣行、それを支える企業風土の存在
(3)快適な生活の下での自立に対するためらい
(4)現在、そして将来の社会に対する不安感
夫婦の平均出生児数(正確には、完結出生児数;結婚持続期間15年から19年の夫婦の平均出生児数)が2.2人(正確には、2.21人)ということは、2人子供世帯が多くをしめるが、3人以上子どもがいる世帯が辛うじて無子・1人子供世帯を上回っていることを示している。しかし、最新の統計では、平成22年(2010年)以来、完結出生児数は1.9人台を推移している。つまり、以前2人子供世帯が以前多くを占めるが、すでに3人以上子どもがいる世帯は少なくなり、無子・1人子供世帯が上回っていることを示している。「晩婚化」が問題になるのは、女性が出産できる期間が短くなるとのことで、出産数向上においては忌避される要素ではあるが、それでも2人子ども世帯が多い事実は、子どもを産み育てられるならば、2人以上は欲しいという欲求は厳然とあることを示している。ちなみに、上記の分析で、「子育てに関する直接的費用と機会費用の増加」が大きな要因であることは、すでに70年代が指摘されていた。
論文「わが国の出生力と出生抑制の展望」(青木尚雄 人口問題研究第114号 1970年4月)において、先の人口問題審議会中間答申を踏まえて、出生抑制のモチベーションについて以下のようにまとめている。
- 家の観念の変化 「親側が、老後の扶養ついて、次第に子供をあてにしなくなりつつある。」
- 乳児死亡率の低下 「希望の子ども数通りに生めば、それがみな育つ安心感」
- 教育への関心(子供の数を制限して、よい教育をする) 受胎調節実行理由の第1位にも挙がっており、「家計が負担する食費や教育費は、戦後急速に上昇し、生活を圧迫している。親が子供の教育に熱心であり、かつ学歴偏重のわが国社会においては、子供数を減らしてそれを高い教育をという態度をとらざる得ない、これが出生低下の理由の一因として挙げられるであろう。」と指摘している。
- 晩婚
- 女性の就労増加
- 経済的圧迫感 「女子の就労希望増加は、絶対的貧困によるものではない。むしろ人口の都市集中、生活様式の近代化、マスコミュニケーションの欲求刺激効果などが、収入増加が進むほど、もう一段上層に昇りたい意欲を馳り立て、あるいは子供より耐久消費財を選択するという価値体系を生む。」(耐久消費財という用語に時代を感じるが、今風に言えば、より洗練されて、有形・無形の生活スタイルとでも言おうか)
- 農村の出生力低下 「都市における労働力の補給基地」としての農村が、戦前から戦後しばらく農村の多産で都市の出生力を上回り補ってきたが、都市の生活水準に追い付こうとする農村の念願が激化し、農村の出生力が都市の出生力より低下した
同論文ではこれらの要因を提示したうえで
「誰も、好きこのんで、受胎調節をしているわけではない。また、誰だって人工妊娠中絶を楽しみにしているものはいない、本来ならば、3人、4人の子どもを持ちたい夫婦も、出産、育児 に対する社会開発の遅れが目立つ現状では、出生抑制という自衛策を取らざるを得ないし、中絶実施でさえも、望んで生むことのできない社会に対する無言のプロテストと云えよう。現在の出生力水準がもしも低くすぎるとしたら、それは明らかに社会の側に改善されるべき何かの無理や歪みがあることを意味する。」
「おわりに
これらを要するに、わが国の出生力は、条件さえ整えば、反騰の潜在能力を持ち、現に一部の年齢や階層には、回復のきざしすらある。
しかし、そうかといって、戦前のように平均出生児数4~5人というような上昇はとても留めない。 それどころか、 経済開発のみが先行し、しかも地域的・階層的格差を放置するなら、そして、他方、社会開発、たとえ住宅、教育制度などが以前改善されないならば、出生のなお一層の抑制低下を招きかねないだろう。自ら、安んじて、『もう1人生みたい』という気持を自然に起させるような社会環境を整えておく━ これが唯一最善の対策だろう。」
教育費についての分析は鋭い。社会が成熟し、高等教育や「自分らしさを表現する」ことが標準になればなるほど、一人の子どもに投入しなければならない教育費や手間は増えて高額になっていくのは必然だ。50年前ですでに教育費高騰が指摘されてきたにもかかわらず、現在やっと高校学費無償化について取り組まれ出したレベルだ。結婚し子供を望む標準的な夫婦でも「子供数を減らしてそれを高い教育に」と考えて出生抑制をするのは正に無言のプロテストではないか。プロテストから経済開発のみだけを志向する圧倒的なシステムに取り囲まれて、ルサンチマン・怨嗟やセリグマンが指摘した学習性無力感やニヒリズムへ発展していくのは、あっという間だ。「女子の就労希望増加は、絶対的貧困によるものではない。」とし社会的に煽られて形成された生活スタイルへの渇望が根底にあることを分析したのも正鵠を得ている部分がある。こうした心象が相まって、結婚に「希望」持てない又はそもそも考えない階層が出てきても致し方ないと言える。
*この「希望が持てない」は、「将来への不安」ではない。未来・将来がどうなるかは誰もわからない。未来・将来は自分たちが変えるものであって、不安・絶望するものではない。特に政治面で民主主義である限り主権者のみが未来・将来を決定できるから。
歴史的な経過を概観すると、現在進行している「少子化」危機は、過去にすでに指摘されてきた問題に真剣に向き合わずに、経済開発のみ追い求めた必然的帰結ではないかと思う。いまさら、危機感面をするなよというやりきれない気持ちになってしまうのだ。
教育費の問題やライフスタイルの問題は、50年前の親の世代でも悪戦苦闘して、子どもによりよい生活、悔いのない人生を送ってもらおうとしてその価値観を教えてきた。こうした価値観は純化し伝承する。社会のあらゆる場面で「ありのままに生きる」ことを讃えることが標準化し、個人を抑圧する風潮や旧来の性差役割を強制するシステムがますます影が薄くなっているにもかかわらず、一定の存在感を示している限り、純化した価値観の純度はますます加速する、いや過激化する危険性を持つ。
一体どこで、なにゆえに問題は見送られてきたのか、誰が見送ったのか。
出発点で言えば、第1次ベビーブームが3年で終焉したことがその後の人口動態に大きな影を落としている。そこら辺の事情をこれから明らかにしていこう。