年明け早々、高市総理大臣の衆議院解散の意向が報道され、19日会見でその理由が示された。

会見全文から、冒頭の解散の理由付けの部分を引用してみた。

「国民の皆様、私は本日、内閣総理大臣として、1月23日に衆議院を解散する決断をいたしました。なぜ今なのか。高市早苗が内閣総理大臣でよいのかどうか。今、主権者たる国民の皆様に決めていただく。それしかない。そのように考えたからでございます。」

「私が自民党総裁選挙や、そして日本維新の会との連立政権合意書に書かれた政策など大きな政策転換は、今年の国会で審議される令和8年度予算や政府提出法案の形で本格化します。その多くが前回の衆議院選挙では自民党の政権公約には書かれていなかった政策です。」

「また、前回の衆議院選挙のときには、私、高市早苗が日本の国家経営を担う可能性すら想定されていませんでした。解散というのは重い重い決断です。逃げないため、先送りしないため、そして国民の皆様とご一緒に、日本の針路を決めるための決断です。私自身も、内閣総理大臣としての進退をかけます。高市早苗に国家経営を託していただけるのか。国民の皆様に直接ご判断をいただきたい。」

この発言を見て、正直、内閣総理大臣は国家経営を一身に担っている役職なのかと思ってしまった。

政策の詳細について、特に消費税については以前このブログ「コーヒーブレイク:選挙のご時世を歴史的に考えてみると…」でも触れたことがあるので、主要争点(とりあえず消費税)についてのLooker-onの視点はそちらで見ていただくとして、この間接的であれ、総理大臣の「総理大臣を国民が選択する」という設定について歴史的に考えてみようと思う。

この発想の背景に見え隠れするのは、大統領的首相を目指す「首相公選制」であるが、そもそも日本の統治体制において、内閣総理大臣とはどのような位置づけで成立してきた役職か時系列的に整理してみよう。話は、明治時代までさかのぼる。

明治政府は当初、太政官、左大臣、右大臣、参議等の律令制や平安時代の役職を参考に政府の役職を定めていた。こうした復古主義的な統治体制は、近代化の流れで否定されていく。

1881年(明治14)明治天皇より「国会開設の勅諭」が出され、10年後の国会開設と憲法制定が約束される。

1885年(明治18)12月22日太政官通達69号により、太政官制は廃止され、内閣総理大臣を首班とする内閣制度が発足した。(国立公文書館デジタルアーカイブhttps://www.digital.archives.go.jp/item/2457508 で原本は閲覧できる)

十二月廿二日

大政大臣左右大臣参議各省卿ヲ廃シ更ニ內閣總理大頂及宮内以下ノ諸大臣ヲ置ク

官省院政府縣ヘ達

今般太政大臣左右大臣参議各省卿ノ職制ヲ廃シ更二内閣総理大臣及宮內外務內務大蔵陸軍海軍司法文都農商務逓信ノ諸大臣ヲ置ク

内閣総理大臣及外務內務大蔵陸軍海軍司法文都農商務逓信ノ諸大臣ヲ以テ内閣ヲ組織ス

同日、太政官公爵 三条実美 名で「内閣職権」(国立公文書館デジタルアーカイブ https://www.digital.archives.go.jp/item/2457626)も発布される。

第一條 内閣總理大臣ハ各大臣ノ首班トシテ機務ヲ奏宣シ承ケテ大政ノ方向ヲ指示シ行政各部ヲ統督ス

第ニ條 内閣總理大臣ハ行政各部ノ成績ヲ考へ其説明ヲ求メ及ヒ之ヲ檢明スルコトヲ得

第三條 内閣總理大臣ハ須要ト認ムルトキハ行政各部ノ處分又ハ命令ヲ停止セシメ親裁ヲ待ツコトヲ得

*須要:しゅよう 必須(ひっす)

第四條 内閣總理大臣ハ各科法律起案委員ヲ監督ス

第五條 凡ソ法律命令ニハ内閣總理大臣之ニ副署シ其各省主任ノ事務ニ屬スルモノハ内閣總理大臣及主任大臣之ニ副署スヘシ

第六條 各省大臣ハ其主任ノ事務ニ付時々状況ヲ内閣總理大臣ニ報告スヘシ但事ノ軍機ニ係リ參謀本部長ヨリ直ニ上奏スルモノト雖モ陸軍大臣ハ其事件ヲ内閣總理大臣ニ報告スヘシ

第七條 各大臣事故アルトキハ臨時命ヲ承ケ他ノ大臣其事務ヲ管理スルコトアルヘシ

しかし、この通達は、アーカイブ資料を見ればわかるように、通達の文末に、「一般二布達スベキモノ二無」「官報ヘ掲載相不成」と但書が追加されており、政権内での内密な規則とされた。

それはそうだろうと推察もされる。

新たに創設された「内閣総理大臣」という役職は、各条を見る通り、帝国議会もまだ開設されていない中で、国家・政府の大方針を定め、法律の起草や決裁、行政すべての機関を統率、掌握する権限を一手に持つ巨大な権限を託された役職として設立された。立法の府がない中で、まさに行政権を握ることは国政を支配する立場を得ることだ。この通達の前年1884年に華族令が制定され、貴族・旧藩主・勤王志士からの功労者が華族として再編され、皇室を守る「藩屏」が整備されたとはいえ、任命するのは明治天皇であっても、その能力によっては、皇室すら支配下に置くことが可能な権限を付託されたのだ。

第1条では、内閣総理大臣は各大臣の首班として天皇に報告する権限を一手に持つ窓口でもあり、第6条において各省大臣は業務報告を義務付けられ、天皇への回路は全て内閣総理大臣を通らなければならないように定められたからである。後の帝国憲法で定められた通り、陸海軍の統帥は天皇の独占事項であり、陸海軍も天皇に直属するというプライドがあった。それ故、彼らは天皇に直接上奏する、できるという特権を持っていたのである。(これが後の暴走を生み出す背景にあるのだが)そう見れば、新たに創設された内閣総理大臣はこの軍部の特権を侵害するものであった。ただ、第6条の後半「軍機ニ係リ參謀本部長ヨリ直ニ上奏スルモノト雖モ陸軍大臣ハ其事件ヲ内閣總理大臣ニ報告スヘシ」は、軍部(参謀本部)の上奏権を認めるものの、陸軍大臣は内閣総理大臣に報告義務を定められることで、内閣総理大臣が軍部のコントロールに関与する余地を定めたのではないだろうか?この微妙なバランスは、軍部にとってはおもしろくない状況でもあったろう。それ故、あえて公開することをしなかったのではないかと推察されるのである。

帝国憲法は、この強すぎる内閣総理大臣の権限を弱めることとなった。

第四章 國務大臣及樞密顧問 の章は、帝国議会について定めた第三章第三十三条から第五十四条の21条分に比べて、わずかに2条分しかない。内閣は第55条一つである。それも、内閣総理大臣についての規定は一切ない。

第五十五條

國務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責二任ス

凡テ法律勅令其ノ他國務二關ル詔勅ハ國務大臣ノ副署ヲ要ス

大日本帝国憲法発布の年1989年(明治22年)12月22日に、憲法の趣旨を踏まえて、「内閣職権」を廃止して、「内閣官制」(国立公文書館デジタルアーカイブ https://www.digital.archives.go.jp/item/1699223)を裁可した。

内閣官制を定めた理由は

元首ノ大権ニシテ國務大臣ハ各二其ノ職務ノ責二任スヘシ今總理大臣ハ各大臣ヲ統督シ法律勅令一切ノ文書必主任大臣ト倶二副署シ其ノ権力ノ廣大二過ルノ嫌イナキコト能タズ冝ツ内閣ノ官制ヲ改メ…

明治政権は、天皇主権であり、行政権の大権は天皇にあった。従って、国務大臣は天皇にとって国務の各分野を平等に補助するという位置づけとなったので、総理大臣がその頂点に立って行政権を独占するのは、広大な権力を手中に収めるため、天皇の大権を侵害すると恐れられたのだろう。

従って、

第一條 内閣ハ國務各大臣ヲ以組織ス

第二條 内閣総理大臣ハ各大臣ノ首班トシテ機務ヲ秦宣シ旨ヲ承ケテ行政各部ノ統一ヲ保持ス

内閣職制にあったような、「各大臣ノ首班トシテ機務ヲ奏宣シ承ケテ大政ノ方向ヲ指示シ行政各部ヲ統督ス」という行政機構を掌握し、国家運営のグランドデザインを立てる役割は剥奪され、「同輩中の首席」程度、調整役に落とされた。軍との関係はどうであろうか?

第七條 事ノ軍機軍令二係リ、参謀本部長ヨリ直二(原史料のまま)秦上スル者ハ天皇ノ旨二依リ之ヲ内閣二下付セラルルノ件ヲヲ除ク外陸軍大臣海軍大臣ヨリ內閣総理大臣二報告スベシ

専門家の意見を待ちたいところではあるが、軍事機密や作戦内容について、天皇に奏上裁可をとる者は、参謀本部長でなくてもよく、さらにその許可報告については天皇の指示があった場合のみ、陸軍大臣や海軍大臣が内閣総理大臣に報告する、それも事後報告でいいとした、軍・天皇の統帥権への不可侵性を追認したような内容となった。

大日本帝国憲法においては、議会の多数派の首班=内閣総理大臣というシステムではない。あくまで、天皇が元老等の推薦を踏まえて、任命する三権分立に基づいた超然内閣(議会による選出によらないという意味で)が原則となる。議会から行政権の責任者を選ぶ議院内閣制ではないのである。

しかし、大正時代から昭和初期(1918〜1932年頃)にかけて、原敬らによる本格的な政党内閣を皮切りに、立憲政友会と立憲民政党が交互に政権を担う「憲政の常道」が確立され、5.15事件により政党政治が終焉を迎え、軍部主導の内閣により、太平洋戦争に突き進んでいった時代を振り返ると、大日本帝国憲法体制の意思決定過程の弱点があらわになる。

「昭和戦前期の政党政治―二大政党制はなぜ挫折したか」(筒井清忠著 ちくま新書2012年)「ふたつの憲法と日本人 戦前戦後の憲法観」(川口暁弘著 吉川弘文館歴文化ライブラリー2017年)と言った研究書を参考にしながらこの時代を概観すると、

戦前の日本においてすでに二大政党制は、立憲政友会と立憲民政党という二つの政党によって達成されていた。大正デモクラシーの高まりは、元老たちに二大政党の勢力関係や世論を意識した内閣総理大臣の推薦を余儀なくさせた。

立憲政友会は、積極財政・強硬外交派であった。具体的には

  • 財政: 鉄道建設や公共事業などを通じて地方へ利益を誘導する「積極財政」を推進
  • 外交: 田中義一内閣に象徴されるように、中国(満洲)に対して武力行使も辞さない「強硬外交(積極外交)」を展開

立憲民政党は、緊縮財政・協調外交派であった。具体的には、

  • 財政: 浜口雄幸内閣などが推進した「緊縮財政」と、為替の安定を目指す金解禁
  • 外交: 幣原喜重郎外相による「幣原外交」が有名で、国際連盟を中心とした欧米列強との協調や、中国への内政不干渉を掲げた。 

しかし、政権政党の交代に伴う極端な政策の変更や互いがスキャンダルや汚職を暴露しあうという中で、有権者たちに政党政治というものへの嫌悪感が醸成されたとも言われている。

*例えば、「松島遊郭」の移転に伴う政府・政党の癒着疑惑(1926年 「怪文書」という言葉が初めて登場した事件とされる)や陸軍機密費事件(同年)等々

*「ふたつの憲法と日本人 戦前戦後の憲法観」では、日本主義者と呼ばれる一群の思想家が、三権分立論を基礎に、多数派の政党が内閣総理大臣を独占する、党議拘束で自由な衆議院での論戦ができない、妨害されることを偽りの立憲主義と呼び、政党不要論や政党亡国論を唱えたことを明らかにしている。「政党」に対する不信感は戦前から国民の記憶にあることを政党に所属する人は考えておいた方がいいと思う。

大正デモクラシーの波に乗り、男性普通選挙の実現や協調外交が推進された。成人男性の普通選挙実現(1925年)により、有権者は約4倍も拡大し、これまで政治から取り残されてきた様々な階層が政治に敏感に反応することとなった。政策の極端化、硬直化した世論(対外進出等)も有権者の急激な拡大と相まって生じた現象だ。一方、世論の左傾化や過激化を警戒した加藤高明内閣によって治安維持法も提案され制定された。農村の困窮や「軟弱」な協調外交による軍事予算の削減圧力に業を煮やした軍人たちは、政治化し始め、国政に干渉し始めた。政治的要求や野心を武力という切先を天皇ののど元に突き付けて実現できると飛躍したのだろう。

その後、軍部の台頭や経済危機、5・15事件による犬養毅首相暗殺で、事態を重く見た天皇から元老の西園寺公望にたいして後継者推薦の下命があり、西園寺は、様々な調整を行ったあげく、軍の同意を得るため、退役海軍大将の斎藤実を次期首相として奏薦した。斎藤首相は、両政党に協力を呼びかけ挙国一致内閣を発足させたが、軍はこれ以降組閣非協力等の圧力をかけ続けた。内閣総理大臣は、単なる調整役に過ぎない為、軍部の圧力に対して対抗する権限を持つことはできなかった。世論や軍部の圧力に押され、天皇は軍部から総理大臣を指名することとなり、軍部は独裁的、強権的に戦争遂行体制に移行し、「臣民」の権利は大幅に制限蹂躙され、国全体が太平洋戦争に突入していった。 いろいろな文献を見ている限り、問題なのは、軍人たちのメンタリーは天皇・皇室に対しては忠誠心があるという感覚であり、昭和天皇個人も葛藤と恐怖の中で軍部幹部に対応しなければならなかったことも想像難くない。

太平洋戦争で日本は敗北するわけであるが、GHQが日本に非軍事化・民主化の変革を迫ったのはこれまでブログで何度も述べてきた。帝国政府に示したGHQ草案の「内閣」の章は次の通り。

GHQ草案

CHAPTER IV The Diet

第4章 国会

Article XL. The Diet shall be the highest organ of state power and shall be the sole law-making authority of the State.

第40条 国会は、国権の最高機関であり、国の唯一の立法機関である。

Article LV. The Diet by a majority vote of those present shall designate the Prime Minister. The designation of a Prime Minister shall take precedence over all other business of the Diet.
The Diet shall establish the several Ministries of State.
第55条 国会は、出席議員の過半数の議決をもって、内閣総理大臣を指名する。内閣総理大臣の指名は、国会の他の一切の事項に優先する。

国会は、各省を設置する。


Article LVI. The Prime Minister and the Ministers of State whether or not they hold seats in the Diet may at any time appear before that body for the purpose of presenting and arguing bills, and shall appear when required to answer interpellations.

第56条 内閣総理大臣及び国務大臣は、国会に議席を有するか否かを問わず、いつでも法案を提出し及び論議するために国会に出席することができるものとし、また、質疑に答えるために要求された場合には出席しなければならない。

CHAPTER V The Cabinet

第5章 内閣

Article LX. The executive power is vested in a Cabinet.

第60条 行政権は内閣に属する。 

Article LXI. The Cabinet consists of a Prime Minister, who is its head, and such other Ministers of State as may be authorized by the Diet.

第61条 内閣は、その首長である内閣総理大臣及び国会において定めるその他の国務大臣でこれを構成する。 

In the exercise of the executive power, the Cabinet is collectively responsible to the Diet.

内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負う。 

Article LXII. The Prime Minister shall with the advice and consent of the Diet appoint Ministers of State.

第62条 内閣総理大臣は、国会の助言と同意を得て国務大臣を任命する。 

The Prime Minister may remove individual Ministers at will.

内閣総理大臣は、個々の大臣を任意に罷免することができる。 

Article LXIII. Whenever a vacancy occurs in the office of Prime Minister or upon the convening of a new Diet,  the Cabinet shall collectively resign and a new Prime Minister shall be designated.

第63条 首相の職に欠員が生じた場合、または新たな国会が召集された場合、内閣は総辞職し、新たな首相が指名される。

Pending such designation, the Cabinet shall continue to perform its duties.

当該指定が行われるまでの間、内閣は引き続きその職務を遂行するものとする。 

Article LXIV. The Prime Minister introduces bills on behalf of the Cabinet, reports to the Diet on general affairs of Statt the status of foreign relations, and exercises control and supervision over the several executive departments and age

第64条 内閣総理大臣は内閣を代表して法案を提出し、国会に国家の一般事務、外交関係の状況を報告し、各行政部門及び政府を統制し、監督する。 

Article LXV. In addition to other executive responsibilities, the Cabinet shall:

第65条 内閣は、その他の行政責任に加え、次の責任を負う。 

Faithfully execute the laws and administer the affairs of State;

法律を忠実に執行し、国政を運営する。

Conduct foreign relation;

対外関係を行う。 

Conclude such treaties, international conventions and agreements with the consent of the Diet by prior authorization

国会の事前承認を得て、条約、国際条約、協定を締結する。 

subsequent ratification as it deems in the public interest;

公共の利益にかなうと判断した場合のその後の批准。

Administer the civil service according to standards established by the Diet;

国会の定める基準に従って公務を運営する。 

Prepare and submit to the Diet an annual budget;

年間予算を作成し国会に提出する。 

Issue orders and regulations to carry out the provisions of this Constitution and the law,

この憲法および法律の規定を実施するために命令や規則を発行するが、

 but no such order or regulati shall contain a penal provision; and

そのような命令や規則は罰則規定を含むものとする。 

Grant amnesty, pardon, commutation of punishment, reprieve and rehabilitation.

大赦、恩赦、減刑、執行猶予及び更生を与える。 

Article LXVI. The competent Minister of State shall sign and the Prime Minister shall countersign all acts of the Diet a executive orders.

第66条 国会の法律及び行政命令には、主務大臣が署名し、内閣総理大臣が副署する。 

Article LXVII. Cabinet Ministers shall not be subject to judicial process during their tenure of office without the conse the Prime Minister, but no right of action shall be impaired by reason hereof.

第67条 閣僚は、その在任期間中、内閣総理大臣の同意なしに司法手続きの対象とならないが、これによって訴訟権が損なわれることはない。

GHQはGHQなりに、日本が戦争に突入する政治過程を分析して、「内閣総理大臣」を再編したと思われる。

天皇主権から国民主権に転換したことを受けて、

  1. 内閣自身が行政権の主体であり、内閣総理大臣はその長であること。
  2. 内閣総理大臣の指名権者は、国権の最高機関であり唯一の立法府である国会であること
  3. 内閣総理大臣は、国務大臣の任命権(国会の助言と同意は必須)と任意の罷免権をもつこと
  4. 内閣総理大臣は、内閣を代表して法案を提出し、国会に国家の一般事務、外交関係の状況を報告し、各行政部門及び政府を統制し、監督すること。

「大政ノ方向ヲ指示シ」以外(これは国権の最高機関である国会の権限)の内閣官制の枠組みを引き継いだ「強い」内閣総理大臣を行政権の長につけ、任命権や罷免権を付与することで軍事化を再び促すような不当な圧力から自らを守る事ができるようにしたと思われる。

まして、GHQ草案で注目すべきは、内閣総理大臣及び国務大臣について、国会議員の承認を必要とするとは言え、特段国会議員であることを条件にしていない(第56条)のである。GHQが、国民の支持を集めた大統領的な存在を想定していたのか、それとも中央官僚組織から推薦された者を想定していたのかはLooker-onはGHQ草案からは伺えないが、いずれにせよ広範な行政を統べる有能な行政官を想像してしまう。

しかし、帝国憲法改正案(政府提出)では

第四章 国会

第三十七条 国会は、国権の最高機関であり、国の唯一の立法機関である。

とGHQ草案と同様に国会の権限、位置を定めるが、GHQ草案第56条のように内閣総理大臣指名最優先条項は第五章 内閣第六十三条に移動となり、

GHQ草案第56条は、

第五十九條 內閣總理大臣その他の國務大臣は、兩議院の一に議席を有すると有しないとにかかはらず、何時でも議案について發言するため議院に出席することができる。又、答辯又は説明のため出席を求められたときは出席しなければならない。

と修正されている。

GHQ草案ではもともと一院制を想定していた為か、先ほども触れたが、総理大臣・国務大臣は議員でなくても国会に出席する権利義務を有する条項と読めるのだが、政府案のように二院制を前提にし、「両議院の一に議席を有すると有しないにかかわらず」と微妙な修正を施すことによって、どちらかの院の国会議員であることが前提になっているのだ。

これまでブログで何度か紹介してきた帝国憲法改正案委員小委員会(芦田委員会)では、昭和21年7月31日に政府提出案の内閣の部分について討議をしている。

第1の論点は、内閣総理大臣が国務大臣を任命する際、国会の助言と承認が必要であるとした条項についての削減であった。内閣総理大臣が国会の議決によって承認を受けるのであるから、総理大臣が指名した国務大臣をまた国会で承認しなければならないのは構成が渋滞する(林平馬 協同民主党)という意見や

「將來、議院內閣制度、責任內閣制度デ、出來得ルダケ衆議院ノ多數黨カラ全部ノ閣僚ガ出ルコトガ望マシイ」が人材不足の折は、議員以外の者でも大臣を務めねければならない現状で、短期的でも国会承認があれば大臣も腰を落ち着けて市議ができるのではないか(鈴木義 日本社会党)という消極的反対が支持を集め、国務大臣の任命には国会の助言と承認が必要となると見られたが、8月20日第13回会議において、金森大臣からの報告で一転する。マッカーサーから吉田首相に、極東委員会の意向として、アメリカ型の統治機構ではなく、イギリス型の統治機構として、総理大臣・国務大臣の文民条項(「シビリアン」タルコト)、内閣総理大臣・国務大臣は国会議員から指名すべき、そして、国務大臣の国会承認条項の削除が伝えられたことが金森大臣から報告されたのだ。芦田委員長は文民条項の意味を「私ノ個人ノ意見」と断りながらも、連合国の意図は、「日本ヲ民主化シ、軍国主義デナイ日本二作リ上ゲルト云フコトガ根本精神デアルカラ」、かって軍籍にいた者でも軍国主義的ではなく民主主義的な思想を持った者がいるだろうから「シビリアン」条項は形式的、日本の官制においては未意味ではあるが、根本精神を受け止めていくべきと語った。この一線を守り、正当な選挙で選ばれた代議員たちの中から総理大臣が選ばれるならば、非軍事化・民主化は保つことができると国際的判断された訳である。このような複雑な経過の中で、日本国憲法の内閣の章は確定したのである。

振り返ってみよう。軍部の脅迫に揺るがされて、民主主義を否定し軍国主義に走った我が国の統治構造を是正するには、天皇主権から国民主権に転換し、行政権を主権者である国民に委ねる、国民も極端な世論で判断を迷わないように二院制でバランスのある判断をしていく、非軍事化・民主主義の価値観を守ると国会議員が発信し続けること。以上が大日本帝国憲法の反省であり、日本国憲法につながる道ではなかったかと思う。

改憲や日本国憲法の不備の一つとして「文民」条項を上げる人たちがいるが、こうした歴史の誤りや改正委員小委員会の議論などどう思っているのだろうか?

長い探索の末に、冒頭の高市発言を考えてほしい。内閣総理大臣は、国家経営を担う者ではない。大正デモクラシー以降の統治機構の欠陥、それを繰り替えさないようにするため、我が国は、アメリカ型の大統領的総理大臣による統治スタイルを退け、つまりカリスマから独裁圧制に転ずるリスクを抑え込み、非軍事大国化、民主主義のためにもイギリス型の議院内閣制による統治スタイルを選択してきた。関節リュウマチの難病を患い、障害者の夫の介護をし、働いて働いてと職務にまい進し、ヘビメタのドラムをたたく満身創痍の女性となれば、共生社会・男女同権、一生懸命さ・自分らしさが尊重される感受性の強い特に若い世代には、内容主張以前に共感がわく存在だ。ぱっとしない中高年のおじさんはそもそも胡散臭い存在でしかないのである。しかし、本当のところ政治は結果責任だ。生き方がクールでも経済破綻や武力衝突に向かっているのなら、間違いなのだ。

「保守」を標榜する人たちが増えてきた。この言葉は、本来「守り保つ」というのが原義だ。自らを保守と規定する人は何を守り保っているのだろうか?おそらく、国際秩序は「弱肉強食」の世界 帝国主義の時代の価値観世界観を守り保っているのでないだろうか?出し抜いて、出し抜いて、出し抜いてが合言葉。 世界を「弱肉強食」の世界と規定してしまったら、民主主義も平和も子供の戯言に見えるのかもしれない。今回の選挙がどういう結果になるのか。歴史は繰り返しそうで、ため息がもれそうである。一度目は喜劇だが、二度目は悲劇となるのだろうか

ひどい後退局面が来るかもしれない。政党政治が無残に終わったあの時期に類似した世の中にならないように少しでも事実と希望をネットの上に置いていきたいと思う。

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