時の政府は戦争孤児の数を過小に申告し、「少なからず精神薄弱児」という印象操作を意図的かは定かではないが行った。そのおかげで孤児たちの状況を「精神薄弱」という個人の資質の問題に帰することを通じて、戦争孤児を多数生じさせてしまった戦争責任を小さく装うことが出来た。

戦後の社会の民主化は、障害者運動団体の組織化や重度知的障害者を保護する施設の建設を促した。


1952年(昭和27年);「精神薄弱児育成会」(現在の「全国手をつなぐ育成会連合会」の前身)発足
           養護学校・特殊学級の義務化、施設の拡充、法制度の整備などの目標を掲げて運動開始。
1958年(昭和33年):日本初の重症児のための入所施設「秋津療育園」開設。
          国立秩父学園(初代園長:菅修)開設
1961年(昭和36年):重症心身障害児施設「島田療育園」(現・島田療育センター)開設
1963年(昭和38年):重症心身児施設「びわこ学園」開設

1958年(昭和33)から「重症心身障害児(重症児)」という言葉が使用されるようになった。

こうした運動史の一つの頂点にあるのが、1960年(昭和35年)の精神薄弱者福祉法の制定施行である。この運動史を俯瞰すれば、戦後の知的障害福祉は重度知的障害者、その家族・支援者を中心にして展開したと思われるが、実際はどうであったか?

当時まだ季刊であった「愛護」(日本精神薄弱者愛護協会)の第15・16合併号(昭和33年11月30日発行)において、「成人の精薄者対策」と題して、当時近江学園長であった糸賀一雄氏が「精神薄弱者福祉対策要綱案」の解説を行っている。昭和33年7月10日に行われた対策要綱案に対する審議会合で示された厚生省の基本的考えについても示している。その中に、昭和29年精神衛生実態調査等の政府資料から様々な推計が掲載されている。その分析をしながら、当時の実態を考えてみたい。

先ずは「精神薄弱者(児も含む)」の総数と構成比である。

18歳未満18歳以上
「白痴」(IQ25以下)約70,000人約30,000人約100,000人 
「痴愚」(IQ25~50) 214,200人 265,800人480,000人
 小計 284,200人295,800人580,000人
「魯鈍」(IQ50~70)4,856,115人
総計5,436,115人

 *小中学生1600万人中88万人が「魯鈍」級(文部省調)

 当時の人口総数 88,293,000人から推計(「愛護」ではさらに四捨五入して全国推計500万人と概算)

従って、「精神薄弱児・者」と呼ばれる者は、総計543万人に上ると推計され、全人口の実に6%程度存在していると推定されている。さらには、「白痴」級の者は「非常に短命で、10歳までに7~8割死亡する」と資料に挿入されている。つまり、重度障害者は2・3割しか成人を迎えられない極めて制度設計の中では少数派であった。

「魯鈍」と分類された学童が5%という高率には驚かされる。単なる貧困による学習機会からの疎外による低学力なのか、戦争被災による後天的な遅れだったのかは不明であるが…

こうの史代の「夕凪の街 桜の国」の第3章「桜の国(二)」にこんなシーンがある。
旭(主人公の父)が、故郷の広島に帰郷し、京花(主人公の母)と出会い、距離を縮めていくエピソードで

京花が連日夜遅くまで学校に居残りになり遅く帰宅するのを風呂上がりの旭が声をかける。社会・算数ができなくて「身長が高くなるほど」こぶができるまで竹でひっぱたかれたと告白する。
京花「うちねえ 赤ちゃんの時 ピカの毒に当たってん…」
旭 「…」
京花「ほいで 足らんことなってしもんたんと」
旭「…誰が言ったの?」
京花「みんな言うてじゃ」
旭 「先生も?」
京花「うん」

適切な教育環境を整えれば、改善される学力であるはずなのに切り捨てられ、差別や偏見により「魯鈍」扱いされた子供がいたことを示唆するエピソードだ。

この構成比・数から、当時の知的障害福祉の主要課題は戦前と同様、犯罪防止・社会防衛的な観点からの施策にならざる得なかったと思われる。実際、対策要綱(案)では「児童福祉法に規定する精神薄弱児施設に収容されている少数の者を除いて、大多数の精神薄弱者は各家庭や社会に放置されたまま家族生活上の支障になり、又、犯罪の原因となっている実状にあるので、速やかに精神薄弱者の収容援護施設を設置し、これらの者の保護と社会的更生のための援護を行う必要がある。」としている。

*糸賀解説において、注目を引くのが、施設体系以外に「売春婦の対策」という項目が立てられている部分である。売春防止法施行に伴い、「婦人相談所の一時保護所や婦人更生施設に沈殿する婦人のなかには精神薄弱者が高率を示しており、その取扱いに困難を来しているので」、売春行為のあった成人の精神薄弱者を一般の更生施設や保護施設で男女同一敷地の別棟にするのか施設自体を全く別物にするのか「成人の精神薄弱者の性の問題」が取り上げられ、「またの機会にさらに検討することとなった。」と記載されている。性的搾取にあっている女性知的障害者の数の多さをうかがわせるとともにその「闇」の深さを感じさせる

次に、「診断別からみた必要な処遇別精神障害者数比率」を見ると

比率
施設に収容を要す23.6%
在宅のまま精神科専門医の治療魔は指導を要す 9.6%
在宅のままその他の指導を要す66.8%

 そして、施設収容を要する対象者を約13万人と試算している。おそらくこの根拠は、580,000人(「白痴」+「痴愚」)×23.6%=136,880人を根拠に算出されていると思われる。それでも、75%以上は在宅生活が可能と判断されているところが興味深い。
施設収容の目的についても、簡明に判断基準を示している。①症状(自傷・他傷)②環境と記載されている。つまり、自傷行為や他者への暴力をしたり、貧困等の理由で家族生活ができない場合に限定され施設収容が選択されたのである。

18歳以上の要施設収容者数=130,000人×295,800/580,000=66,300人(原文では、296,800人と1,000人多い)

18歳未満の要施設収容者数=130,000人×284,200/580,000=63,700人(昭和32年11月児童局調では、児童収容施設は総数89 総定員5,405人 現員5,194人。必要数の8.4%にも満たない現状)

糸賀解説では、精神薄弱者福祉対策要綱(案)の基本的考え方として
施設収容援護、通園施設による更生援護、居宅指導、扶養者に対する手当金の支給等が精神薄弱者に対する福祉施策として求められるが、「最も根本的でありかつ、急を要するもの」とし先ず施設収容を行うとした上で、以下3つの施設類型を提示している。

審議会合説明対策要綱案
精神薄弱者更生施設主として職業的自立の可能な軽度の精神薄弱者を収容して職業訓練を行い、併せて社会適応性の附与につとめて社会復帰を図る①主として職業的自立の可能な軽度の精神薄弱者(IQ50~70「魯鈍」)及びこれに準ずるもの(IQ25~50「痴愚」)で満18歳以上のもの 但し、精神薄弱以外の心身上の障害があるものは除く
②男女別・知能レベル別に分類収容
③社会復帰に必要な職業訓練(農作業、園芸、紙工、竹工、木工、藁工、窯工、金工、板金工、洋裁、編物、農産加工、畜産加工、その他土地の特色を生かした科目)
社会適応性を獲得させるための生活訓練
④収容定員 100名以上300名以下
⑤設置・運営主体
原則 都道府県または5大市
⑥整備年次計画
毎年8施設程度設置 5か年で完了
(昭和34年度を第1年度)

収容目標を算出すると
全国で、8施設×5か年=40施設 最低 100名×40施設=4000名 最大でも 300名×40施設=12,000名 

審議会合説明対策要綱案
精神薄弱者収容授産施設社会復帰の可能性は少ないが、適当な保護指導によってある程度の技術的作業を習得しうる精神薄弱者を収容し、適当な種目の授産事業を行いつつ保護指導を行う。当分の間、更生施設が収容授産施設を兼ねる

           

審議会合説明対策要綱案
重度精神薄弱者保護施設主としてIQ25以下のいわゆる「白痴」級の者を収容して長期間継続的に生活指導を行いつつ保護を加える。①精神精神薄弱の程度の著しい者(IQ25以下-「白痴」)で18歳以上のもの 但し、他の心身障害を伴う者については、施設長が特に収容を適当と認めたものに限る。
②男女別・知能レベル別に分類収容
③自ら日常生活に必要な要務を弁ずることができるよう生活指導及び保護を行うとともに情操教育や極く平易な作業を行い、社会適応性の扶余につとめる
④収容定員 100名以上300名以下
⑤設置・運営主体 
国が設置主体
都道府県または民間が運営主体
⑥整備年次計画 
各ブロックごとに各1施設を目途 毎年2施設程度設置 5か年で完了
(昭和34年度を第1年度)

収容目標を算出すると
全国で、2施設×5か年=10施設 最低 100名×10施設=1000名 最大でも 300名×10施設=3,000名 

(設置主体は、更生施設と異なり、国であることを明示している。重度者の生存権確保について国家責任を明示した証左であろうか。)

精神薄弱者更生施設+重度精神薄弱者保護施設=5000名~15,000名 と18歳以上の要施設収容者数66,300人の4分の1程度をやっとカバーする計画であったことが見て取れる。
それと注目しなければならないのは、施設の規模の大きさである。施設収容が早急な課題であったとは言え、中軽度者に対する職業訓練的、集団主義的な矯正施設のイメージを感じるし、重度保護施設も病院的なイメージでこちらにも集団主義的なものを感じてしまう。

この対策要綱案は、さらに審議を重ね、国会での審議を経て、精神薄弱者福祉法に結実するのであるが、その中では施設収容は以下の3つの類型に整理された。

「精神薄弱者福祉法 解説と運用」(厚生省社会局更生課 昭和35年9月)によれば

重度精神薄弱者保護施設 精神薄弱の程度が重いため日常の起居、食事、排泄等すべてに介護を要し、社会的更生の望が全くないか極めて困難な者を入所させて、その必要はなくなるまで保護指導を行うもので、場合によっては終身保護を行う
精神薄弱者更生施設社会的更生の期待できる中軽度の精神薄弱者を入所させ、一定期間を限って生活訓練指導を行ない、就職、職親委託、保護授産施設への入所等の形で社会復帰させる施設
保護授産施設特殊教育による義務教育修了者とか更生施設の課程を経た者のようにある程度職業能力を身につけた精神薄弱者で適当な職場がないか一般の者と一緒の職場では無理なものを通わせ又は収容して、指導職員の保護指導の下に生産活動に従事させて、賃金を得させる施設

しかし、法律では「乏しい予算で最大限の効果を発揮させるためには、これら三つの生活を兼ねた施設でもよいから速やかに各県最低1ケ所は公共施設を設けるよう指導すべき」として、一緒くたにして「精神薄弱者援護施設」にした。

いずれにせよ、施設収容については、中軽度の精神薄弱者に職を身につけさせ、生活習慣を身につけさせて社会復帰させる「社会的更生」が基調だった。
この点は、先に運用されている児童福祉法においても共通している。

10年前に発刊された「兒童福祉法」(昭和23年 厚生省児童局企画課長 松崎芳伸 著 財団法人日本社会事業協会 刊)において「精神薄弱児施設」は次のように解説されている。(差別的な表現・人間観が多々あるが、歴史的な史料として引用する)

「精神薄弱児施設は。精神薄弱の児童を入所させて。これを保護するとともに、獨立自活に必要な知識技能を興えることを目的とする施設」である。(第42條)…「獨立自活に必要な知識技能を興える」ということは、馬鹿は馬鹿なりに飯を食う術を教えようとするものであり、学校教育はこれを意味しない。…
(註)白痴は精神薄弱児の最も極端な一例であり、これに獨立自活に必要な知識技能を興えるというのは観念論で、保護だけに徹底すべきだという論がある。白痴に対しても獨立自活に必要な知識技能を興えることを目的にするのだと説明するのは、理想すぎるのであろうか。

*重度者に対して、「独立自活」の可能性を見出そうと問いかけている姿勢に厚生省の「良識」を感じるのは僕だけであろうか?

精神薄弱者福祉法において、全てを「援護施設」と一括りしてしまったことはいくつかの功罪を残すことになった。

再び「精神薄弱者福祉法 解説と運用」(厚生省社会局更生課 昭和35年9月)にそってその部分を見てみよう。

一つは、功の部分である。精神薄弱者援護施設について「白痴級の、いわゆる重度の精神薄弱者であっても、指導訓練を行なえば何等かの進歩はありうるので、本施設の入所対象になることは勿論である。」と重度者の施設入所の可能性及び成長の可能性を認めたことである。先の昭和23年当時の厚生省の立場から、昭和30年代の重度者に対する数々の実践が立場の変更を促したのだろう。

もう一つは罪の部分である。「精神薄弱の程度別の施設収容」について「限られた運営費で、重度の者を多く収容することは極めて困難であることは十分予想されるのであるが、施設運営の限界と、施設に対する社会ニードを考え合せ、いたずらに重度の者を制限することなく、混合収容の長所(より軽度の者がより重度の者を世話することによって、自己に自信をもたらすこと等)を生かした合理的な程度別の枠の設定等を考慮すべきである。」と予算の都合の面から、混合収容を合理化したことである。これにより、現場の支援・環境整備が「更生と保護」をめぐって複雑化すること、更生施設の目的が曖昧化するのは目に見えていた。

ここからは、仮説である。
もともと、精神薄弱児・者にかかわってきた社会事業家たちの考えは、集団主義、「犯罪・反社会的行為」の防止、「社会的ルールの遵守」 就労・ADL中心の支援観であり、本人の人権・意思決定尊重という観点は二の次ではなかったろうか。実際、「愛護」第28号(昭和35年1月30日)では、岡野豊四郎氏(日本精神薄弱者愛護協会顧問 前筑波学園長 愛護の表記による)は「私の精薄児観と社会への要望」において、中軽度者に対してかなり否定的なイメージを展開している。
しかし、「援護施設」へ重度者が流入する現実はこの支援観と対立することになる。

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