第2次世界大戦が終わり、国土は焦土と化した。敗戦混乱期の児童の保護は、巷にあふれる浮浪児(戦争孤児)対策から始まった。「不良児狩り」と言われ摘発が行われ、窃盗を行う不良児を檻に閉じ込め、その後少年院に送られたりしていた。これら孤児等の中には少なからず知的障害のある児童が含まれており、その対策の必要性を顕在化させる契機ともなり、それが児童福祉法に精神薄弱児施設(第40条「精神薄弱児施設は、精神薄弱の児童を入所させて、これを保護するとともに、独立自活に必要な知識技能を与えることを目的とする施設とする。」)が法制化される契機になった。
終戦直後の混乱期の知的障害福祉で語られる正史とも言える。
*ちなみに、戦時下、ほとんどが在宅で生活していた「精神薄弱児」や「精神薄弱者」の生活の全体像は明らかな論文は確認できていない。断片的に兵役に徴集されたとか書かれていることもあるが、詳しくは触れられていない。ご教示いただけたらありがたい。
「少なからず知的障害のある児童」という実態はどうだったか?そもそもの戦争孤児の実態はどうだったか?
戦前後の女性の一生を描く朝の連続テレビ小説に必ず出てくる「浮浪児」 昭和21年8月23日衆議院建議委員会で戦災孤児の救済を求めた衆議院議員に対して当時政府は国会でこう答弁していた。
服部政府委員(厚生政務次官)
御答へ致します、從來の孤兒は慈善事業だとか、さう云ふ面で個人で經營されて居るやうな所で取扱つて來て居つたのでありますが、今度の戰爭の災禍に依つて、發生して來た所の孤兒に對する取扱ひの問題は、極めて重要な問題でありますことは、只今御話になりました通りだと信じて居ります、現在全國にどれ位の孤兒があるかと申しますと、是は概算でございますが、取調べた結果は大體三千名前後と推算を致して居るのであります、其の内譯は乳幼兒が大體五百名、學童が二千五百名でありまして、斯う云ふ多數の孤兒が今どう云ふ状態になつて居るかと申しますると、此の三千名の中に親戚とか或は又縁故者であるとか云ふやうな面の保護を受けて居りまする者が一千五百名であります、其の外に公設、私設の社會事業施設に依つて收容保護を致して居りまする者が、千五百名と云ふやうな状況でございます、併しながら今後尚ほ外地引き揚げに依る所の孤兒などを考へますと、相當の數が殖えて參つて來ると思ふのであります、是等の孤兒に對しまする所の保護施設に付きましては、政府と致しましても非常に重要な關心を持ちまして、國家の戰爭に依つて生じた所の是等の孤兒は、先づ國の責任に於て是が保護育成をやつて行かなければならぬと云ふことを痛感致して居ります、そこでどう云ふ工合に之を保護して行つたら宜しいかと云ふ社會施設の方法でありますが、是は色々なことを考へて、又各方面の衆知を集めまして、さうして是等の衆知に依つて一つ良い方法を取纏めて、それに依つて施設を行つて行かなければならぬと考へて居ります、例へば御説のやうに唯生かすだけと云ふやうな面では是はいけないのでありまして、一年々々伸びて參ります者、殊に學齡期に達して居りまする者、又學童と云ふものに對しましては、相當な教育をやらせて行かなければならぬと同時に、所謂勤勉、勤勞の精神を養つて行かなければならぬ、斯う云ふやうな方面から綜合致しますと、或は集團的に國家がさう云ふ施設をするか、或は又各府縣をしてさう云ふ施設をなさしめて、其處に集團的に收容致しまして、是等の方法を實施致して行く、一面國の力の足りない點に付きましては、是は所謂慈善家の手に依つてやる所の施設を十分に利用し、或は此の慈善家と云ふものに多く斯う云ふ施設をして戴く爲には、國と致しましてはさう云ふ施設に對して補助をすると云ふ、公設と私設の二つの面を完成して、是等の孤兒を保護して行きたい。
「戦災孤児」は約3000名おり、半数1500人は社会事業施設に収容され、残りは親戚縁故者に引き取られたとされて、これから外地からの引き上げ孤児が増えてくると報告されている。
戦争孤児(日本)http://www16.plala.or.jp/senso-koji/ というサイトがある。そして、「かくされた戦争孤児」(金田茉莉著 講談社刊 2020)が戦争孤児の実態を告発している。そこでは、全然異なった実態が述べられている。
実際、政府は昭和22年12月通達し、全国孤児一斉調査(沖縄を除く)(昭和23年2月1日時点)を行っていた。(紹介されたのは、日本戦災遺族会編「全国戦災史実調査報告書 昭和57年度版」)
戦争孤児合計 123.511 人
年齢別(数え年)
1歳~7歳 14,486人
8歳~14歳 57,731人
15歳~20歳 51,294人
種類別
戦災孤児(空襲により両親死亡 片親空襲死・病死を含む) 28,247人
引揚孤児(外地からの引き揚げ途中で孤児になったもの) 11,351人
棄迷児 (主に乳幼児で両親の氏名住所不明) 2,647人
一般孤児(それ以外 例えば、両親病死または行方不明等) 81,266人
保護者別
親戚に預けられた孤児 107.108人
施設に収容された孤児 12.202人
独立した生計を営む孤児 4.201人
(浮浪児は住所不定の理由で、養子縁組みした孤児は孤児ではないという理由で、孤児自殺者・孤児死亡者は生存していないという理由で含まれていない)
浮浪児は3.5万人~4万人と推定されている。
明らかに、政府答弁は過少に戦争孤児の実態を描き出しており、親戚に預けられた孤児は、家庭的な保護を受けているかのような印象を受けるが、金田氏の調査によれば親戚等に預けられた孤児の1割しか愛情をもって生活できた児童はおらず、9割は実子と差別されたりいじめをうけたり、今でいう児童虐待を受けていたのである。(推計では、9万人の児童がその対象になろう)悲しむべきことは、孤児死亡者・自殺者、浮浪児は計上されていないことである。「火垂るの墓」に出てくるような餓死をしても国にも存在を認知されてもらえない存在が多数いるにもかかわらず、数としても把握されていない、いなかったことになっている社会とは何だろうか。その上に構築された児童福祉法とは何なのだろうか。
*こうした事情から終戦直後から日本社会には脈々と児童虐待の素地が潜伏していたことは「闇」として考えておいてほしい。ついでに言うと売春を強制された児童もいる。人身売買は横行していたのである。美しい日本の美徳を標榜し、日本には人身売買や奴隷的拘束などないと主張する人がいるが、その人たちは日本の当時の実態を踏まえて発言しているのか尋ねてみたい。
さて、戦災孤児に少なからず含まれていたとされる「精神薄弱児」についてである。
特殊教育の整備に尽力した、辻村奉男児童局厚生技官の
「大部分の戦災孤児たちが、すでに親戚縁者宅や養護施設で、ともにもかくにも落ち着いた生活を送っている。一方、世間の安価な同情を買う手段として、戦災孤児を自称する家出児童が多い。
また、浮浪児集団に精神医学的、心理学的検査を行うと、自然的児童集団に比べ、精神薄弱者や病的児童が多数のぼる」
との論説には驚きました。
(「かくされた戦争孤児」P254 )
どうやら、出所は辻村奉男児童局厚生技官であるようだ。この辻村理論が展開されてる論文を探すと、「兒童福祉」(厚生省児童局監修 東洋書館発行 1948年)に収められている論文「戦災孤児と浮浪児」(辻村奉男児童局厚生技官)にあたった。
論文の要旨をまとめてみると
論文では、「かくされた戦争孤児」P254に引用されている内容がそのまま展開されている。3番目の主張を原文のまま引用すると、「自然的集団では極僅かしか認められない精神薄弱児や、病的性格の児童が浮浪者集団の中に於いては、恒に異常に多数にのぼるということである。」となる。
そのような浮浪児を「素質性浮浪児」と区別したうえで前述の理論を識者の調査研究で補強を試みようとしている。
第1番目は、村松常雄博士が行った戦前と戦後の浮浪者集団への調査である。
昭和14年(1939年)警視庁・東京市による「乞食浮浪者」一斉保護(250名)
精神病者 | 30% |
知能が著しく劣った者 | 46% |
性格異常と思われる者 | 12% |
大体普通の者(身障者含む) | 10% |
昭和20年(1945年)12月浅草本願寺の浮浪者調査(205名)
精神病者 | 8% |
知能が著しく劣った者 (「低能者」) | 27% |
性格異常と思われる者 | 17% |
大体普通の者(身障者含む) | 48% |
辻村氏は、自説を補強する資料として活用されているのであるが、むしろ精神疾患や知的障害者の比率は減っているわけで、「素養性」と「浮浪」の原因を個人の病気・障害に帰すことは一概にできないと思われる。
第2番目は、昭和22年(1947年)に行われた神奈川県児童相談所における「上半期県下浮浪児の知能分布調」(200名)である。
IQ30-39 | 5 | 2.5% |
IQ40-49 | 6 | 3.0% |
IQ50-59 | 13 | 6.5% |
IQ60-69 | 20 | 10.0% |
IQ70-79 | 38 | 19.0% |
IQ80-99 | 79 | 39.5% |
IQ100- | 39 | 19.5% |
辻村氏は、精神薄弱をIQ70-79で取るので、41%と半数近くの浮浪児が精神薄弱児であると導いているが、児童保護事業の時代から「魯鈍」はIQ70以下とされてきた。その基準で考えると、22%と2割近くに後退する。むしろ、先の浮浪者調査に近い数字と言えるだろう。まして、戦災による心的喪失で一時的に知的なレベルが低下した児童の存在も否定できない。戦争孤児に知的障害児はいたかと言われれば、いただろうが、それは戦前の平時よりはるかに少ないと結論付けられるのではないかと思われる。
辻村理論を証明する統計結果ははなはだ脆弱であり、むしろ結論ありきに無理やり数字の解釈を変えたと言ってもいい。(家出)浮浪児にはむしろ「素養性」のものは限定的で、むしろ「環境性」が多かったのではないだろうか。心無い身内に虐待を受けたり、施設で非人間的な扱いを受け、再び脱走しなければならなかった子どもや戦災でPTSDやトラウマを抱えて心神喪失に陥った子どもの存在はこの論文にはない。推察するに、それを認めることは、戦争の国家責任を認めることにつながっていく。だからこそ、統計数を過小評価したり隠ぺいしたり、戦争孤児・浮浪児はもともと知能が劣っていたり、精神的な病を持っているから、反抗的で虚言癖のあるフラフラしている存在と統計解釈を曲げてでも主張したのではないか。
この辻村理論は、知的障害福祉の歴史解釈に少なからず重大な修正を加え、戦争孤児の方々の名誉を侵害したことになる。
歴史家の正当な評価研究がなされること、戦争孤児の方々の名誉が回復されることを望む。