「精神薄弱者福祉法 解説と運用」(厚生省社会局更生課 昭和35年9月)によれば、精神薄弱者福祉法において、「精神薄弱者」の解釈ないしその範囲については、「社会通念」によるとされた。

その理由として

(1)精神薄弱者の定義については、医師の立場から、あるいは心理学者、教育者の立場から種々の定義が行われたことがあり、又同じ医師による定義でも十人十色で決定的なものがない状態である。又、知能指数を中心とした精神薄弱の判定方法及び判定基準にも確立されたものがなく、知能指数によりその範囲を決めるとしても文部省ではIQ(知能指数)七十五以下、厚生省では七十以下、法務省では七十未満(六十九以下)と区々となっている。…従って、権威のある判定機関が整備され、判定方法及び基準が統一確立されるまでは、特に定義を設けないこととした。(P28)

とされ、
一応「精神薄弱者とは、先天的な原因により、あるいは生後比較的早い時期に脳に障害を受けたため、知能の発育が著るしく遅れ又は停滞している者をいう。」と言うことができよう。(P29)

この規定に伴って
精神薄弱者手帳は交付すべきかー登録制度の有無、精神薄弱者に手帳を交付して福祉措置を図るということは或る意味においては極めて便利であり将来経済的な福祉措置を考慮する場合には必要であるとも考えられるが、手帳そのものの制度が精神薄弱者に馴染み難いこと及び手帳を交付する以上は、精神薄弱者なりや否やの判定基準が明確である必要があるが、現状においては統一的な権威のある判定基準がないこと等の理由により精神薄弱者に対して手帳を交付するという建前を取らないこととした。(P18)

実際、前回の投稿で述べたように、「魯鈍」も含めて400~500万人いるとされた実態の中で、手帳制度が現実的な制度であったかは疑問だが、とりあえず当時は手帳制度は見送られた。

「精神薄弱者福祉法 解説と運用」では、「更生」については定義していて、その内容がなかなか興味深い。

二「更生」とは、心身上の障害によりその他社会経済的な諸種の原因により、正常な社会生活から脱落している者が、自ら進んであるいは他人の指導訓練援助によりその障害困難を克服し健全な社会生活、家庭生活を営むようなることをいう。一般的に独立自活の生活ということで職業的な自立更生が重要視されるが、必ずしもそれに限るものではなく、重度の精神薄弱者で身辺の世話一切を他人の介助にたよっていたものが、施設における指導訓練を受けた結果、着脱衣や食事を一人でできるようになることも更生と解すべきである。

三 更生援助のほかに必要な保護を行うとしたのは、重度の精神薄弱者については、社会的自立を中心とした更生は期待することは困難であるのでこれらの者に対しては必要な保護をおこなうこととしたのである。…(P31)

このように、社会事業家側にあった集団主義、「犯罪・反社会的行為」の防止、「社会的ルールの遵守」 就労・ADL中心の支援観を、行政側も「社会的ルールの遵守」 就労・ADL中心の支援観において補完していたと言えるだろう。

もう何年も、何十年前から施設の「高齢化」「重度化」が問題と指摘されるが、この二つが延々と課題と語られるのは、そもそも施設に高齢者・重度者に対応する機能がないから問題となるのである。そもそも集団主義、「犯罪・反社会的行為」の防止、「社会的ルールの遵守」 就労・ADL中心の上に築き上げられているこれまで繰り返し述べていた援護施設の原型(プロトタイプ)が頑固なまで今日まで克服されていない証左であると思われる。

更生施設への重度者の流入の原因は何なのか?それは大きな意味で、「精神薄弱者」の構成比が70年代から90年代にかけて構造変化を起こしたことに起因していると思われる。

ここの実態をデータとして明らかにしたと思われるのは、「戦後日本における知的障害者処遇」(原田玄機著)という博士論文( https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/30281/soc020201801303.pdf が最も詳しい。(と私は考えている。)

論文に掲載されている図やデータを引用すると

1971年度厚生省推計調査
軽度 130,200人(41.7%)
中度  98,300人(31.4%)
重度  82,300人(26.3%)

1990年厚生省推計調査
軽度      69,200人(24.4%)
中度      76,400人(26.9%)
重度・最重度 123,500人(43.5%)

70-90年代を通じて、軽度者の比率が急激に減り、重度者の比率が急激に上げてきていることが確認できる。原田論文によると、この現象を「重度バイアス」と規定し、その原因に60年代に急激に増大した特殊学級が70年代減少に転じ、一方79年養護学校義務化を境に養護学校在籍者が増えてくることを上げている。原田氏は論文「養護学校義務化以後における軽度知的障害児の減少」(《教育と社会》研究第29号 2019年)でその原因について論じている。

この問題は、原田氏が述べるような教育制度だけが原因ではないと思っている。
先ず前史である60年代に特殊学級が急激に増加したのは、前回の投稿でも示した通り、いわゆる「魯鈍」と呼ばれる軽度障害もしくは低学力グループを学校教育にまず吸収しようとした試みの結果であるように思われる。戦争被害や貧困が原因であるこのグループは、当然教育制度の整備や戦後の経済事情の改善が図られる中で、深刻な先天的な障害を持たない限り改善され、コアなグループ以外は普通教育に吸収されることになったと推測される。
相対的に中軽度者が減る可能性がある中で、重度者が比重的に増えることになったのは、重度障害者優遇の政策が知的障害福祉の中で進められたからと思われる。
一つは、療育手帳制度の開始である。精神薄弱者福祉法施行時に積み残された手帳制度が、昭和48年(1973年)に知事又は政令指定都市市長が実施主体として療育手帳制度として実施された。これにより、特別児童扶養手当・心身障害者扶養共済・国税、地方税の諸控除及び減免・公営住宅の優先入居・NHK受信料の免除が図られ、重度障害認定されたものは特に特別児童扶養手当額が増額されることになった。
手帳制度に伴う経済負担軽減が直接的に重度障害者を増加させたとは言い難いが、手帳制度により社会的認知がされるようになり、重度者が生きやすい環境を整備する一因にはなったと思われる。

もう一つは、私はこれがより直接的な要因ではないかと思っているが、70年初頭から各都道府県で次々実施されていった重度障害者医療費助成制度の存在である。前回の投稿で、「白痴」級の者は「非常に短命で、10歳までに7~8割死亡する」つまり、重度障害者は2・3割しか成人を迎えられない極めて少数派であったと記した。重度障害による寿命の短さも一因であろうが、裏返してみれば濃密な医療や服薬を必要とするグループであり、多額の医療費の家計への負担は想像に難くない。73年の国による老人医療費支給制度開始と軌を一にした重度障害者医療費助成制度は、自己負担額を無料とするものであり、重度者及びその家族は制度の恩恵を大いに享受したのではないかと思われる。但し、この推測は、あくまでも仮説である。重度障害者医療制度については、まとまった研究論文が見つからなかった。なぜなら、国が関与しない都道府県独自制度として展開してきたからである。(地方交付税も投入されていない)従って、各都道府県別にデータが散在され、統一的な研究が困難な状況であり、その対費用効果(寿命の伸長等)は推測はできるが、断定はできない。
*ちなみに、せめて自分の住んでいる都道府県の担当課にこの制度の歴史や資料を照会してみたが、史料も含めてよく分からないとの説明であった。ただ、HPを見ると重度障害者医療所制度を含む福祉医療制度については多くの都道府県で検討委員会が立ち上げられ、財政危機について検討がなされていることが伺われる。

重度障害者医療助成制度によって、重度者が「非常に短命で、10歳までに7~8割死亡する」事態は著しく改善されたと思われ、それが重度者の寿命を延ばすことで、相対的に重度者の比重が高くなっていったと思われる。

この二つの要因は逆に中軽度者にはどのように作用したのだろうか?「累犯障害者」(山本譲二著 2006年 新潮社)において、2004年度矯正統計年報によれば、IQ69以下の知的障害者として認定される可能性のレベルの新受刑者は全体の三割弱を占めていることが示された。療育手帳を持っていない受刑者の存在も示され話題となった。障害者の権利運動は70年代半ばから盛り上がってくるが、それ以前は行政による「不幸な子どもの生まれない運動」をはじめとして社会的には「精神薄弱者」は望まれない風潮も強い中、社会の中で暮らしていた中軽度者が望んで手帳を取得することを望んだろうか?むしろスティグマ、社会的隔離と理解する者や累犯を重ね福祉制度にかかわらない者がいても不思議ではない。むしろ、制度を整備する中で中軽度者の特定の部分の潜在化、潜伏化が進んだのではないかと思われる。(最近、話題となる触法知的障害者は最近増えてきたとか、「発見」されたのではなく、支援側が見なかった、見ようとしなかっただけなのだ。)

原田論文にはもう一つ興味深い筆者作成資料がある。
図2-8 年齢区分別・障害程度別療育手帳新規取得者数がそれだ。1983年度~2015年度までの18歳未満・以上、A(重度)B(中軽度)の4つのグループでの取得者数の推移をグラフ化した図であるが、興味深いのが2004年度から18歳未満のB(中軽度)グループの取得が他のグループと比較して急勾配で増えて行っているのだ。18歳未満なので手帳の申請は親が行っているのだが、この年度に初めて発達障害者支援法が制定施行され、都道府県によっては発達障害児への療育手帳交付をみとめる都道府県が出てきたように、手帳取得をスティグマ的にとらえる風潮が薄まってきたのが背景になるのではないだろうか。

原田論文では、最終、知的障害福祉は中軽度者中心の状況から、重度バイアス・家族バイアスを経て、重度・中軽度問わず支援体制の整備が求められる現状に来ていることを明らかにしている。このように、知的障害者の構成が制度整備の中で大きく変化したにもかかわらず、入所施設が原型である中軽度者の社会的更生を目標とするスキームから脱却できていないのが今日の「危機」を持続させている要因なのだ。

知的障害者の生活を地域生活を主体に考えるならば、入所施設は地域生活・家庭生活が困難な急性期及びその回復後のリハビリ期間を支える期間限定の支援機関か終身生活できる特別養護老人ホームや有料老人ホームの潜みを狙った障害者ホームのどちらかに特化しなければ、存在価値は見出されないと思われる。(ちなみに、知的障害児入所施設が増えないのは、知的障害児が良くも悪くも地域家庭で生活できる可能性が整備されてきたからで、ある意味喜ばしい事態と受け止めたうえで、役割を本格的に検討するべきではないだろうか?)

次回から児童虐待について書いてみようと思う。

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