強度行動障害支援について投稿した際、わが国の場合、自閉症支援に偏りすぎではないかと疑問を投げかけたが、自閉性障害、知的障害(特に重度)が併存している利用者について記載する時、このブログを読んでいる皆さんは「知的障害を伴う発達障害(自閉症スペクトラム症)」者と記載するか、「発達障害(自閉症スペクトラム症)を伴う知的障害」者と記載するかどちらだろうか?おそらく多くの研修や講義では「知的障害を伴う発達障害(自閉症スペクトラム症)」という用語が使われているのではないだろうか?それかどっちでもいいではないかと思っているかもしれない。

*「併存症」(併存疾患)は、ある病気と同時に起きているが、その病気とは関係がない別の病気をさす。一般的には、発達障害と知的障害は別の疾患であり、互いには関係していない。「合併症」は「ある病気が原因となって起こる別の病気」である。つまり、知的障害が原因で自閉症、逆に自閉症が原因で知的障害となるということである。実際は、知的レベルは正常であるけれども自閉性障害を持っている方々をよくテレビドラマや報道で見ているだろう。この事からも、発達障害と知的障害は確かにどちらも脳の発達におけるなんらかの不全・障害なので重なる可能性は高いが、別カテゴリーであり、原因が一緒とは言い切れないことは記憶しておいてほしい。

知的障害を伴わない、自己を分析し語ることができる自閉症者から、自閉症者の持つ様々な感覚特性や感覚統合の特性、言語処理の難しさ、視覚的情報の処理の優位性、記憶の仕方の特異性、マインドブラインドネス等々が語られてきた(当事者証言・当事者研究)おかげで、我々健常者・支援者は外側からの観察で言葉のない自閉症児者の行動の理由を類推・推定することはできるようになった。しかし、それを持って、目の前にしている自閉性障害と知的障害の併合疾患がある人を理解したことになるだろうか?以前の投稿で、知的障害児者の特徴として、「象徴作用」の発達不全、時間理解や自身の行動管理については「行動の鎖」でしか理解できない特徴を紹介した。また当然、人格形成の未熟さも伴うことも推定される。自閉性障害と知的障害の併合疾患がある人の行動原理は、自閉症×知的障害という掛け算で表現されるのであって、知的障害という要素は無視できない。むしろ、人格形成においてより深く影響を与えているのは、知的障害だ。従って、自閉性障害と知的障害の併合疾患がある人を何と呼ぶかと問われれば、「自閉性障害を伴う知的障害者」と呼ぶのが実態に即している。

ここまで読んできて、何を橋のこけたことをくどくど書いているのだろうと思った方もいるのではないだろうか?自閉性障害と知的障害の併合疾患がある人に適用されると思われる法律は、知的障害者福祉法発達障害者支援法の二つであるが、この二つの法律の関係性を明確にするものはない。(ご教示をいただけたらありがたい。)

ただ、平成28年改正発達障害者支援法において

附 則 (平成二八年六月三日法律第六四号)

(検討)

2 政府は、疾病等の分類に関する国際的動向等を勘案し、知的発達の遅滞の疑いがあり、日常生活を営むのにその一部につき援助が必要で、かつ、社会生活への適応の困難の程度が軽い者等の実態について調査を行い、その結果を踏まえ、これらの者の支援の在り方について、児童、若者、高齢者等の福祉に関する施策、就労の支援に関する施策その他の関連する施策の活用を含めて検討を加え、必要があると認めるときは、その結果に基づいて所要の措置を講ずるものとする。

「改正発達障害者支援法の解説 正しい理解と支援の拡大を目指して」(発達支援の支援を考える議員連盟 編著 ぎょうせい平成29年刊)の解説によると

(本条の趣旨)

知的障害には当たらないが適応行動に問題がある者は、知的障害者福祉法の 「知的障害者」に該当しないため、必要な支援を受けられず、日常生活や社会生活に支障が生じている事例があると指摘されている。一方で、世界保健機構 (WHO)は、現在、「疾病及び関連保健問題の国際統計分類(「ICD」)」の改訂 作業を行っており、このような者の分類についても検討されうる状況にある。

そこで、知的発達の遅滞の疑いがあり、日常生活を営むのにその一部について援助が必要で、かつ、社会生活への適応の困難の程度が軽い者(知的障害には当たらないが、適応行動に問題がある者が想定されている) 等に関する検討規定を設けた。

ここから、発達障害者支援法が想定している「発達障害者」は、知的レベルについては遅滞を想定していない者であり、知的障害が見られるのならば、法律的にも、知的障害福祉法が対象とする知的障害者と見なすという関係性になっているのである。

しかし、ここからやっかいな話が始まる。二つの法律を比較するとどうだろう。

 障害者基本法
昭和45年(1970年)成立
平成28年(2016年)改正
知的障害者福祉法
昭和35年(1960年)成立
令和4年(2022年)最新改正
発達障害者支援法
平成16年(2004年)成立
平成28年(2016年)改正
定義身体・知的 ・精神(発達障害を含む)定義なし
社会的通念
自閉症、ASP等のPDD LD,ADHD
社会的障壁定義あり定義なし定義あり
理念基本的人権の享有する個人としての尊重
社会・経済・文化あらゆる分野への参加の機会の確保
居住地・居住者の選択の機会の確保
意思疎通手段の選択の機会の確保
自立と社会経済活動への参加
自立・社会経済活動に参加への努力(本人)
社会・経済・文化あらゆる分野への参加の機会の確保  
社会参加の機会の確保
居住地・居住者の選択の機会の確保
地域共生の確保
社会的障壁の除去
早期発見  〇(第5条)
医療・介護等 早期発達支援
年金等  
教育 〇(第6,7,8,9条)
個別教育支援計画
いじめ防止等対策
療育 
職業相談 〇(第10・11条)
雇用促進 
住宅確保 〇(第11条)
バリアフリー(公共的施設、情報)  
相談  
経済的負担の軽減  
文化的諸条件の整備等  
防災防犯  
消費者保護 〇(第12条;権利利益の擁護) 差別・いじめ・虐待防止規定アリ
選挙時の配慮  
司法手続の配慮 〇(第12条の2)
家族支援  〇(第13条)

知的障害者福祉法は、何度か改正はされてはいるが、障害者基本法に見られるような各生活関連分野については法として規定されているものはない。障害者基本法において総括的に規定されているからという考えからだろうか。障害者基本法と発達障害者支援法は、理念については親和性が高い(例えば、社会的障壁の除去)ばかりではなく、障害者基本法で定めた生活関連領域における権利保障がより具体的に規定されていることが分かる。(個別教育支援計画の策定等)

発達障害者支援法における具体的な項目の設定は、これまで、見過ごされがちで支援の手が届かない存在だった発達障害者であるからこそ、支援について具体的に定めるべきとする考えは理解できるが、知的障害者においても同様の問題が解決されているとは思われない。

障害者基本法にはない項目として、発達障害者支援法においては、家族支援についての努力義務が以下のように規定されている。

(発達障害者の家族等への支援)

第十三条 都道府県及び市町村は、発達障害者の家族その他の関係者が適切な対応をすることができるようにすること等のため、児童相談所等関係機関と連携を図りつつ、発達障害者の家族その他の関係者に対し、相談、情報の提供及び助言、発達障害者の家族が互いに支え合うための活動の支援その他の支援を適切に行うよう努めなければならない。

知的障害児者においても、家族等への支援は児童期療育においても青年期・成人期の支援においても重要なのはある意味常識ではあるし、実践の蓄積がある分野だ。いまさら法律に書き込むことはないのだろうか。

障害者基本法、知的障害者福祉法、発達障害者支援法を並べて比較しても、発達障害者の権利保障に比して、知的障害者のそれは著しく公平性を欠いていると言えないだろうか。まして、知的障害者福祉法の理念には、相変わらず「すべての知的障害者は、その有する能力を活用することにより、進んで社会経済活動に参加するよう努めなければならない。」(第一条の二)と本人の「自立への努力」項目が手つかずのままになっているのだ。

*知的障害者福祉法に記載されず、発達障害者支援法に明記されている項目に「司法手続きの配慮」がある。

(司法手続における配慮)

第十二条の二 国及び地方公共団体は、発達障害者が、刑事事件若しくは少年の保護事件に関する手続その他これに準ずる手続の対象となった場合又は裁判所における民事事件、家事事件若しくは行政事件に関する手続の当事者その他の関係人となった場合において、発達障害者がその権利を円滑に行使できるようにするため、個々の発達障害者の特性に応じた意思疎通の手段の確保のための配慮その他の適切な配慮をするものとする。

知的障害者への司法手続きに対する配慮がないかと言えば事実誤認である。知的障害や発達障害、精神障害(以下「知的障害等」という。)を有する者、少年、高齢者、外国人などは、捜査機関において「傷つきやすい(vulnerable)人たち」「要支援被疑者(vulnerable suspects)」(いわゆる「供述弱者」)と表現され、「供述の任意性や信用性」の確保のため、「録音・録画の実施、助言・立会人制度の試行、取調べの高度化」といった取組が行われている。ただ、それは冤罪の未然防止といった実践的な課題に対応する捜査機関等の「自主的な」取り組みとして行われていると言える。(法律面で言えば、発達障害者については法的に配慮義務が求められているとはなるが…)

注)ここら辺の事情は、次の調査報告が詳しい。

国立国会図書館 調査と情報―ISSUE BRIEF―

No. 1246(2023.11.16) 知的障害等を有する被疑者への取調べ ―いわゆる「供述弱者」問題をめぐって―(https://dl.ndl.go.jp/view/prepareDownload?itemId=info:ndljp/pid/13101074

こうした現状は、結局知的障害者の福祉や権利保障が法的には、実はないがしろにされてきたことを意味している。発達障害者支援法との著しい不均衡だけではなく、ないがしろにされている問題を思いつく限り書いてみよう。

一つ目は、未だ決着をつけていない「知的障害」の定義問題である。以前の投稿で、福祉法制定時、各方面からの定義が国として統一できず、精神薄弱者福祉法に定義が盛り込めず、社会通念で規定せざるを得なかった事情を書いた。それから、すでに65年が経過するにもかかわらず、結局放置されたままであり、行政のみならず立法(国会議員)からも議論を求める声は広がらない。関係団体でも運動の中心課題にはなっていない。(発達障害は、DSM・ICD等で操作的定義として明確に定義できるから分かりやすい。人は分かりやすいものには飛びつくが、これほど長い時間実践に苦慮してきた分かりにくい障害については後回しにするものだろうか)

二つ目は、療育手帳の在り方である。実施主体は、都道府県であり、微妙に各都道府県で障害の等級のつけ方は異なっている。(ちなみに名称も異なる)これも以前の投稿で、福祉法成立時は、中軽度者が主流であり、手帳を交付する事務量や本人たちの受け止め方に対する反発を考慮して、国の制度化が見送られ、70年代に入り重度者が主流を占めていく中で、都道府県の制度として成立したことを述べた。65年も経ち、手帳制度に対する反発や差別感も薄れてきている中、国の制度として再構築しようと求めないのだろうか。

三つ目は、重度障害者医療費助成制度の財政基盤である。以前の投稿で、重度障害者医療助成制度が重度知的障害者の寿命を延ばし、知的障害福祉の主要課題が、中軽度者保護指導から重度者保護支援に切り替わったことにふれた。それほど重要な転換点的な制度であるにも関わらず、各都道府県の独自財源(地方交付税交付金による補填がない)によって運営されている財政基盤的には不安定な制度である。(まして、各都道府県制度である為、どれだけの財政規模であるか統一的な資料が明らかではない。時間がかけて、47都道府県の収支を調べ上げればいいのだが…)つまり、各都道府県民税のみで運営されている制度であり、都道府県の財政力で格差も出てくるのだ。(まして、低所得階層に所属する中軽度者については、3割本人負担での医療費負担が生じ、重度者との格差が甚だしい。重複障害であれば、助成制度の対象となるが、「健康な」中軽度者は置き去りのままだ。)

四つ目は、知的障害者福祉法に残る「自立への努力」規定だ。知的障害者を頑張らなければならない義務がある存在と規定することは、医療的なケア、支援の手を借りなければ生命を維持できない重症心身障害児者は「頑張っていない、ただ生かされている、生きている」存在と決めつける余地を残すことになってはいないか?優性思想までもう一歩だ。法律の条文を変えれば事足りるのではない。変えるための議論を立法府で国民の代表たちが広く議論し合意形成を成し遂げた結果として「自立への努力」規定が削除され改正されることに意味がある。

知的障害児者の福祉のおける基盤的な課題について解決されていないにもかかわらず、3障害(発達障害も含む)の一元化の下に、固有の基盤的な課題の解決への努力を怠っていないだろうか。発達障害児者支援は注目を浴びる領分だ。しかし、もともとは重度知的障害と自閉症等の発達障害の併存疾患者の支援から発達障害支援は始まり切磋琢磨されてきた。しかしそのことで、元々の知的障害児者の権利擁護について疎かにしていいわけがない。しかし、現実はそうではなく知的障害児者支援も権利擁護も疎かになっているように見えてしまうのだ。(その一つの結果が津久井やまゆり園であることは言うまでもない。)用語に順番にこだわりを持ってしまうのはこうした事情なのだ。

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