ここ最近、知り合いの施設や自閉症支援等で権威のある入所施設での職員による虐待報道が続いていて、憂鬱な気持ちになってしまう。

厚生労働省が、ネットで公開する「障害者虐待の防止、障害者の養親者への支援等に関する法律」(通称 障害者虐待防止法)に基づく対応状況等に関する調査結果報告書(最新版は令和4年度版)(https://www.mhlw.go.jp/content/12203000/001180654.pdf)を見れば、障害者福祉施設従事者等による障害者虐待の相談・通報件数も虐待認定された件数も、平成30年度~令和4年度上昇傾向で止まることはない。(相談件数 29年度2605件→3年度4104件1.58倍 認定数 30年度672件→4年度 1022件1.52倍)被虐待者の中で、知的障害を持つ者は、72.6%と他の障害に比べて群を抜いて多く、事業所別に見ると、障害者支援施設が虐待認定数の22.4%と共同生活援助26.4%と並んで抜群に多い。障害者虐待と言えば、知的障害者の入所施設に特徴的な課題と言っても過言ではない状況だ。

今年度から虐待防止委員会の設置義務化等より厳格になったが、この5年間でも障害者支援施設の現場では、国や都道府県の虐待防止研修に多数参加したり、虐待の標的になりやすい強度行動障害を持つ利用者への支援力向上のために基礎研修・実践研修に多数参加してきた。まだまだ事業者の努力が足りないのか、入所施設で暮らしている利用者の障害に対する現場のスキルがないのか、解決の展望が見えない状況が続いている。

調査結果報告書のデータを虚心坦懐に見てみると、「行動障害がある」グループの合算は33.5%であり、「行動障害なし若しくは有無不明」グループ63.8%つまり被虐待者の3人に2人は行動障害はない若しくは有無不明なのだ。そして、6割近くの被虐待者が区分4以上の手厚い支援が必要な方たちなのだ。(区分3以下は2割にも満たない)強度行動障害はその激しさゆえに、支援者が精神的に追い込まれたり、怒りを覚えてしまい、虐待行為に及ぶ一定の根拠になっている。(同情すべき理由にはならないが)これを見てやっぱり強度行動障害の人は虐待を受けやすいではないかと思う人もいるだろうが、それよりも、3人に2人は行動障害がなくても(つまり、精神的な動機づけがなくても)虐待を受けているというデータが浮かび上がってくる。それも、理由は、重度故の介助・支援負担しか思いつかないが…。このデータは、行動障害支援以上にまず解決しなければならないのは、支援者としての基本的立場や姿勢の育成・醸成という課題であることが突き付けられている。実際、次の資料はその文脈で見ると興味深い。

表58 市区町村等職員が判断した虐待の発生要因(複数回答)カッコ内は令和3年度

 件数構成割合
教育・知識・介護技術等に関する問題669(431)73.6%(3年度 64.5%)
職員のストレスや感情コントロールの問題520(366)57.2%(3年度 54.8%)
倫理観や理念の欠如528(334)58.1%(3年度 50.0%)
虐待を助長する組織風土や職員間の関係性の悪さ289(147)31.8%(3年度 22.0%)
人員不足や人員配置の問題及び関連する多忙さ285(165)31.4%(3年度 24.7%)

(注)構成割合は、虐待者が特定できなかった47件を除く909件に対するもの。

市町村職員等第3者の調査で虐待の要因として上位に上がるのは、虐待を行った従事者個人のスキルや意識性であり、増大はしているが、いわゆる「理念に基づいた経営」「風通しのよい組織」「人員不足」といった組織的要因は重大な問題ではあるが、順位としては低く見なされているというこれもまた多くの虐待研修で指摘されている結論からやや離れている。

日本知的障害者福祉協会が毎年発刊する「全国知的障害児者施設・事業実態調査」を時系列的に比較しても、興味深いデータが浮かび上がる。

障害者支援施設(施設入所支援)

 2019年度2023年度
回答施設数1251施設(送付数1613施設)1214施設(送付数1608施設)
常勤専従27,09025,397
常勤兼務5,099(常勤換算数4396.7)4,783(常勤換算数3787.5) 
常勤換算率0.860.79
常勤小計32,189(常勤換算数31486.7)30,180(常勤換算数29184.5)
非常勤7,557(常勤換算数4317.4)7,510(常勤換算数4614.6)
常勤換算率0.570.62

回答した施設が同一施設なのかどうか不明であるが、回答施設数はさほど減っていないにもかかわらず、常勤職員の総数、常勤換算率はともに減っており、非常勤職員の総数、常勤換算率は横ばいでさほど減っていない。細切れ時間で働く非常勤職員を管理指導する立場の常勤職員は減っているということは、常勤職員の負担感は増したことを意味している。誇張でも何でもないが、指導しなければならない常勤職員の心情ってこんなものかではないかと感じてしまう動画があった。(ドラマ「不適切にもほどがある!」(https://youtu.be/PTr4pe9v3iI?si=cIIORVxOBfm3otkO

常勤職員が減った要因は何だろうか?障害福祉サービス事業体は増えていると思われるので、常勤職員であった人材が障害者支援施設以外の事業体へ流失したか、異業種に転職したか…いずれにしても残された常勤職員たちの負担感は増したのではないかと思われる(つまり、人員不足や人員配置の問題及び関連する多忙さは増した)一方、人員配置上は指定基準をぎりぎりでもクリアするように帳尻を合わせてきているので、指定権者である行政から見れば、人員不足それに伴う余裕のなさは順位が低くなってしまうのかもしれない。仮に強度行動障害支援のスキルを上げるにせよ、先ずベースやバックグラウンドに倫理観や利用者の障害に同情共感できる感性が醸成されていなければ、スキルは単なるハウツーだ。ハウツーであるから、即効性を求めたくもなるのも人情だ。しかし、知的障害や発達障害という、提供される情報を理解受容し、コミュニケーションを取っていくのにそれなりの時間を要する障害に対しては、即効性はあり得ない。彼らにはそのためのそれなりの時間が必要なのだ。支援者である我々は忍耐強くその時間を確保する、もしくはスキルを上げて短縮するぐらいしか行動を支援する方策はないのだ。

虐待防止委員会や権利擁護研修を事業所で行い、職員の意識や倫理観、スキルを高めていくことで虐待を防止するという目論見は妥当なのだろうか?「教育・知識・介護技術等」を身に着け、倫理観を持ち、「ストレスや感情コントロール」ができる人材を、職場が一から育成に責任を負わなければならないのだろうか?施設・事業者は、そもそもそのような人材もしくはそのような素養を持つ人材を供給されなければならない側ではないのか?職場は、先ずはサービスを提供する仕事をする実践の場であって、教育育成機能はどうしても二の次になる。しかも、供給される未経験者や短時間雇用者(0.5~0.6ということは、2人で常勤1名並みもしくは、半日勤務ということだ)を育成するためには、1人の常勤雇用者に対する知識量とスキル、職務倫理を最低二人に教育し、動く時間は半日。シフトを動かすなら再び調整をして、OJTを行う必要がある。つまり、手間と時間はどんどん増えていくことになる。非常勤教育という新たなミッションが発生し、常勤職員の精神的な負担は新たに生じた?ことになる。新人常勤職員はかける時間、手間は基本的に低減するが、非常勤はどうだろうか?むしろ減らない可能性のほうが高い。余裕を作るために補充したのに、新たなミッションが発生して、余裕は生じないのだ。

既に行政サイドでは、虐待防止の鍵は、「教育・知識・介護技術等」を身に着け、倫理観を持ち、「ストレスや感情コントロール」ができる人材が支援現場に多数配置するしかないという見解だ。支援者一人一人が、そのような人間となるか、事業者がそのような人間を多数雇用するか又は入社させてから効率よく教育するかという、支援者個人か事業者のどちらか若しくは両方に責任があるかのような議論になっている。しかし立ち止まって考えてみよう。以前、措置委託制度期や支援費制度期の生活支援員の資格要件を以下のように紹介した。

(措置委託制度時)

精神薄弱者援護施設基準(昭和43年5.10 厚令14)

第6条(職員の資格要件)

一.学校教育法(昭和22年法律第26号)の規定による大学において、心理学、教育学又は社会学を修めて卒業した者

二.学校教育法第56条第1項に規定するであつて、2年以上精神薄弱者の福祉に関する事業に従事したもの

三.前2号に掲げる者のほか、精神薄弱者の更生援護に関し相当の学識経験を有すると認められる者

(支援費制度時)

知的障害者援護施設の設備及び運営に関する基準(平成15.3.12厚労令22)

第15条(職員の資格要件)

指導員は、次の各号のいずれかに該当する者でなければならない。

一.学校教育法(昭和22年法律第26号)の規定による大学の学部で、心理学、教育学又は社会学を修め、学士と称することを得る者

二. 学校教育法の規定による大学の学部で、心理学、教育学又は 社会学に関する科目の単位を優秀な成績で修得したことにより、 同法第67条第2項の規定により大学院への入学を認められた者

三.学校教育法の規定による高等学校若しくは中等教育学校を卒業した者、同法第56条第2項の規定により大学への入学を認められた者若しくは通常の課程による12年の学校教育を終了した 者(通常の課程以外の課程によりこれに相当する学校教育を終了した者を含む。)又は文部科学大臣がこれと同等以上の資格を有すると認定した者であって、2年以上知的障害者の福祉に関する事業に従事したもの

四.前3号に掲げる者のほか、知的障害者の更生援護に関し相当の学識経験を有すると認められる者

*知的障害者入所(通所)更生施設、知的障害者入所(通所)授 産施設の生活支援員に準用

上記を読めばわかるように、心理学・教育学又は社会学を修めた大学生や大学院生レベル、学校教育法に定める中高校を卒業したものでも2年以上の知的障害福祉事業の実務経験があるレベルのものが入所の知的障害者の生活支援を行えたのである。「教育・知識・介護技術等」を身に着け、倫理観を持ち、「ストレスや感情コントロール」ができる人材は、この程度の教育・実務レベルが最低限の保障と言ってもいいだろう。即ち、高卒以上の学力を持ち、社会学や心理学についても一定の知識を身に着けたレベルが必要だ。その教育訓練コストは、学生が払う学費と税金から支払われる社会的コストを合わせて100万円はくだらないのではないか。(だれか正確な試算を出してほしいが)そのような素養のない無資格者・多職種者を雇用したら、「教育・知識・介護技術等」を身に着け、倫理観を持ち、「ストレスや感情コントロール」ができるまで教育する最低コストは、1人100万円はくだらないだろう。有形無形で事業者はこのコストを負担することを客観的には強いられている。しかしこのような教育訓練コストは、本来全て事業者が負担しなければならないものなのだろうか?

日本国憲法

第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

② 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

にあるように、国には社会福祉の向上及び増進義務がある。

だからこそ、社会福祉法において、以下のように社会福祉事業等に従事する従事者の確保は国の責務なのだ。

第九章 社会福祉事業等に従事する者の確保の促進

第一節 基本指針等

(基本指針)

第八十九条 厚生労働大臣は、社会福祉事業の適正な実施を確保し、社会福祉事業その他の政令で定める社会福祉を目的とする事業(以下この章において「社会福祉事業等」という。)の健全な発達を図るため、社会福祉事業等に従事する者(以下この章において「社会福祉事業等従事者」という。)の確保及び国民の社会福祉に関する活動への参加の促進を図るための措置に関する基本的な指針(以下「基本指針」という。)を定めなければならない。

2 基本指針に定める事項は、次のとおりとする。

一 社会福祉事業等従事者の就業の動向に関する事項

二 社会福祉事業等を経営する者が行う、社会福祉事業等従事者に係る処遇の改善(国家公務員及び地方公務員である者に係るものを除く。)及び資質の向上並びに新規の社会福祉事業等従事者の確保に資する措置その他の社会福祉事業等従事者の確保に資する措置の内容に関する事項

三 前号に規定する措置の内容に関して、その適正かつ有効な実施を図るために必要な措置の内容に関する事項

四 国民の社会福祉事業等に対する理解を深め、国民の社会福祉に関する活動への参加を促進するために必要な措置の内容に関する事項

3 厚生労働大臣は、基本指針を定め、又はこれを変更しようとするときは、あらかじめ、内閣総理大臣及び総務大臣に協議するとともに、社会保障審議会及び都道府県の意見を聴かなければならない。

4 厚生労働大臣は、基本指針を定め、又はこれを変更したときは、遅滞なく、これを公表しなければならない。

(国及び地方公共団体の措置)

第九十二条 国は、社会福祉事業等従事者の確保及び国民の社会福祉に関する活動への参加を促進するために必要な財政上及び金融上の措置その他の措置を講ずるよう努めなければならない。

2 地方公共団体は、社会福祉事業等従事者の確保及び国民の社会福祉に関する活動への参加を促進するために必要な措置を講ずるよう努めなければならない。

社会福祉の基盤である担い手の育成は、市場原理、経済原理に委ねたら、確保されるものではない。だからこそ、国や地方公共団体は、担い手の育成確保という基盤整備の義務を憲法や法律上課せられている。にもかかわらず、旧帝大に福祉系学部はないし、国公立大学においても少数だ。大学や専門学校の福祉系学部が軒並み定員割れや廃止されるか外国人学生の受入にシフトしている現状には手を打たない。小中の公教育の段階から、英語教育や金融教育の導入には熱心なくせに、主権者教育や福祉教育(児童虐待、社会福祉・社会保障の仕組み、地域共生等)を科目として義務付けてもいない。それでどうして、障害者特に知的障害、発達障害者に対して差別偏見なく、感情をコントロールすることができる社会福祉の担い手が生まれるのか?人口減社会・自治体サービスの縮小が目の前に迫ってきて、介護や支援の担い手は地産地消ではないが、その地域で人材を確保せざる得なくなるというのに、いつまで国や自治体は虐待のジャッジをする審判という当事者意識のない立場にいるのか?虐待を糾弾する識者やマスコミは、事業者や施設をこの点では国と一体となって激しく糾弾するが、それは国を免罪し、多くの若者、優秀で改革精神や人権意識の高い青年たちを福祉職から遠ざけ、最後は誰も担わない未来社会がくるかもしれない危機感を予見できないのか?

従事者個人、事業者、国・地方公共団体には等しく虐待を起こさせない社会を作る責任と義務があるし、等しくそれを負わなければならない。そして、必要なのは、ジャッジをすることではない。一部の優秀な事業者が担い手を確保したことを自慢するのではなく、社会全体が協力し合って、担い手になるそして、担い手を教育し育てることをしなければならないと思う。

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