結局、日本国憲法制定時には「社会福祉」という言葉は、曖昧で混乱したまま国会を通過するに至った。
当時の混乱した社会情勢や思想状況の中で、当時混乱していたとしても、過去の事件を探索するミステリーのように、振り返り冷静に考えることで、混乱の真相が浮かび上がってくることもある。

現在の視点から過去を解釈するのではなく、過去の歴史の流れに沿って「社会福祉」と言う用語に本来盛られるべきだった意味を検討するのが、歴史的な見方と言うものだと思う。

「社会福祉」は日本国憲法において初めて規定された訳だが、先行する大日本帝国憲法との関係はどうなのかを考えてみたい。

以前の投稿で、

大正14年に発刊されている井上英和辞典(井上千吉著 国立図書館デジタルコレクションで閲覧可能)では、
welfare 安寧,平安,繁栄,無事,安泰,安康 といった訳があてられている。

百瀬氏の著作では、welfareを「幸福」と訳す事例として、大日本帝国憲法の公定英訳(明治22年06月28日)において、第9条の一節 「臣民ノ幸福」を「the welfare of subjects」と訳している事例を引いている。
welfareの訳に「幸福」をあてるのは、時の政府ぐらいで、一般的な用語ではなかったと言えるだろう。

としたが、
大日本帝国憲法の実際の内容は

第九条 天皇ハ、法律ヲ執行スル為ニ又ハ公共ノ安寧秩序ヲ保持シ及臣民ノ幸福ヲ増進スル為ニ、必要ナル命令ヲ発シ又ハ発セシム。但シ、命令ヲ以テ法律ヲ変更スルコトヲ得ズ

(公定英訳 明治22年06月28日)

Article 9. The Emperor issues or causes to be issued, the Ordinances necessary for the carrying out of the laws, or for the maintenance of the public peace and order, and for the promotion of the welfare of the subjects. But no Ordinance shall in any way alter any of the existing laws.

帝国憲法の枠組み(国体と言ってもいい)では、天皇は、皇祖神天照大神から命令を受け万世一系を守ってきた日本の正当な統治者であり、国民は正当な統治者である天皇を支える「臣民」という位置づけ。天皇と国民は「君民の関係」。その為、臣下としての国民は、納税と兵役は君主を支えるための二大義務となったのだ。

大正天皇 朝見式の勅語(大正元年7月31日)
…臣民亦和衷協同シテ忠誠ヲ致スヘシ…

天皇にとって国民は忠誠を誓う対象だった。それ故、天皇にとっては、「臣民」は「大宝(おおみたから)」であり慈愛をもって接する対象だった。帝国憲法では、第2章に「臣民権利義務」と定めているが、臣民の権利は、あくまで天皇から委託許可された権利でしかないので、その範囲は最終天皇の「恣意」に根拠づけられる法律の範囲内にならざる得なかった。

帝国憲法義解 伊藤博文著 第22条解説

自由は秩序ある社会の下に棲息する者なり。法律は各個人の自由を保護し、また国権の必要より生じる制限に対して其の範囲を分画し以て両者の間に適当の調和を為す者なり。而して、各個臣民は法律の許すところの区域の中に於いてその自由を享受し、釈然と余裕あることを得べし。此れ及び憲法に確保する所の法律上の自由なる者なり。

このような自由観・権利観からは、「臣民の幸福」とは天皇が安堵するもので与えるものであるから、「幸福」の英訳として安寧,平安,繁栄,無事,安泰,安康の意味を持つ welfare が選択されたと思われる。

昭和天皇は、「福祉」という用語を勅語に積極的に使用した。

先ず、関東大震災直後の1923年11月10日に出された詔書で,教育勅語と戊申詔書の流れをひき,当時の社会的・思想的激動にたいして国民精神の振興を呼びかけた「国民精神作輿の詔書」(大正12年11月10日)(大正天皇の名で摂政宮(皇太子裕仁、後の昭和天皇)が署名して御璽を捺した)

…宜ク教育ノ淵源ヲ崇ヒテ智徳ノ竝進ヲ努メ綱紀ヲ粛正シ風俗ヲ匡勵シ浮華放縦ヲ斥ケテ質實剛健ニ趨キ軽兆詭激ヲ矯メテ醇厚中正ニ帰シ人倫ヲ明ニシテ親和ヲ致シ公徳ヲ守リテ秩序ヲ保チ責任ヲ重シ節制尚ヒ忠孝義勇ノ美ヲ揚ケ博愛共存ノ誼ヲ篤クシ入リテハ恭儉勤敏業ニ服シ産ヲ治メ出テテハ一己ノ利害ニ偏セスシテカヲ公益世務ニ竭シ以テ國家ノ興隆ト民族ノ安榮社會ノ福祉トヲ圖ルヘシ…

「国家ノ興隆」「民族ノ安楽」と「社会ノ福祉」は一体で取り扱われ、その後は「即位礼の勅語」(昭和3年11月10日)「国際聯盟脱退の詔書」(昭和8年3月27日)「紀元二千六百年式典の勅語」(昭和15年11月10日)においては「人類ノ福祉」、「司法部職員への勅語」(昭和14年11月1日)では「国民ノ福祉」という用語で使用されている。昭和天皇が人類・社会・国民といった広い視点を持っていたことを示す一方、「福祉」は「神から授けられた幸せ」(この場合、君主・盟主が授ける幸せ)を意味する言葉として戦前、天皇によって使用されていたのだ。

芦田小委員会で、たびたび繰り返し現れる「社会福祉」か「社会の福祉」という用語の「混乱」は、
GHQ草案
In all spheres of life, laws shall be designed for the promotion and extension of social welfare, and of freedom, justice and democracy.
有ラユル生活範囲ニ於テ法律ハ社会的福祉、自由、正義及民主主義ノ向上発展ノ為ニ立案セラルヘシ

に体現される自由・正義・民主主義に連なる「社会的な幸せ」と「国家ノ興隆」「民族ノ安楽」に連なる「天皇から与えられた(社会・民の)幸せ」との相克であったと言えるのではないだろうか?
戦後の混乱期の中で決着がつかなかったのはある意味仕方がなかったと言えるかもしれない。そして、ぎりぎりの妥協点として、「社会福祉」という用語が二つの思潮をはらみながら定立されたのが真相と思われる。(welfare に「福祉」という言葉を当て、新たな意味を付与する手法に芸術的でアクロバティックなものを感じるのは僕だけだろうか?こんな些細な点にも、日本国憲法が右派から攻撃されても破綻しなかった強さを感じてしまうのは僕だけだろうか?)

次回、自由・正義・民主主義に連なる「社会的な幸せ」とは日本国憲法においていかに定義づけるか書いてみたい。

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