「GHQの押し付け憲法」として日本国憲法を全面否定する論者の見解を伺いたいところであるが、生存権規定が日本人自身によって憲法に掲げられたことは画期的なことであったと言えるのではないだろうか?(他にも、GHQは国会の一院制を主張したが、二院制が維持されることになったことなども)私は、憲法改正審議をすべて概観したわけではないが、当時の日本の政治家・国家官僚等はGHQ草案に代表される平和・自由・民主主義の価値観を大日本帝国憲法の「国体」にうまく取り込み、幅広く解釈できる余地を残し、いかようにも運用できるように構築したのではないかと思われる。それが75年を経ても「改正」されない日本国憲法の生命力なのではないかと思われる。
従って、日本国憲法における「社会福祉」の原義は、GHQ草案の原意×帝国憲法改正案委員小委員会の議論によって確定されるはずである。
GHQ草案第24条の主旨は、生活関連の法律制定の根本的な目的をわざわざsocial welfare、自由、正義及び民主主義の向上発展に限定するものであった。これは、GHQ等占領軍側が、我が国の生活関連の法律や作成する責任を持つ政府・国家官僚にsocial welfare、自由・正義・民主主義の価値観が根付いておらず、法的にも欠陥があるという認識を持っていたからである。大日本帝国憲法では、(第9条)「天皇ハ法律ヲ執行スル為ニ又ハ公共ノ安寧秩序ヲ保持シ及臣民ノ幸福ヲ増進スル為ニ必要ナル命令ヲ発シ又ハ発セシム但シ命令ヲ以テ法律ヲ変更スルコトヲ得ス」(第10条)「天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任免ス但シ此ノ憲法又ハ他ノ法律ニ特例ヲ掲ケタルモノハ各々其ノ条項ニ依ル」(第19条)「日本臣民ハ法律命令ノ定ムル所ノ資格ニ応シ均ク文武官ニ任セラレ及其ノ他ノ公務ニ就クコトヲ得」と官僚・軍は天皇の命令により法律の執行や「公共の安寧秩序の保持と臣民の幸福を増進」する目的で臣民より一段高い位置を占めていた。これらエリート集団が臣民から遊離し、臣民・社会を省みず、帝国憲法をないがしろにして暴走し、またそれを自浄作用として阻止できなかった結果、臣民を監視弾圧下に置き、戦争に突入していった。この暴走を再び引き起こさないために、GHQ草案第14条「人民ハ其ノ政府及皇位ノ終局的決定者ナリ彼等ハ其ノ公務員ヲ選定及罷免スル不可譲ノ権利ヲ有ス。一切ノ公務員ハ全社会ノ奴僕ニシテ如何ナル団体ノ奴僕ニモアラス。」(日本国憲法では第15条「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。2 すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。」と改変)第91条 「皇帝皇位ニ即キタルトキ並ニ摂政、国務大臣、国会議員、司法府員及其ノ他ノ一切ノ公務員其ノ官職ニ就キタルトキハ、此ノ憲法ヲ尊重擁護スル義務ヲ負フ」と官僚機構を「天皇の官僚」から「国民全体の奉仕者」=公務員へ転換させ、憲法尊重擁護義務を課し、「自由、正義及び民主主義の向上発展」に専心することを強要したのである。この文脈から、social welfareの意味は、「国民・社会全体の幸せ」「社会全体が幸福になる状態」と言った広義の目的概念を指し示していたと見て構わないであろう。
ちなみに、「『社会福祉』の成立‐解釈の変遷と定着過程‐」(百瀬孝著 ミネルバ出版 2002年)によると、「幸福」という意味で、「国民ノ福祉」「社会ノ福祉」という用例で、昭和天皇は詔勅に「福祉」という語をしばしば使っていたことを明らかにしている。「臣民ノ幸福」を「the welfare of subjects」と訳したりした事例と相まって、social welfareに「社会(の)福祉・幸福」という訳語をあてることは、天皇をはじめ帝国政府では共通の認識であったと言えるのではないだろうか。
一方、帝国憲法改正案委員小委員会の議論は7月29日の審議以降どのように進展したのだろうか?
結論から言えば、第1項生存権規定を挿入する過程で意図的かは別として、GHQの意図を微妙に外していくような解釈を認めていくように見受けられる。
第1項の生存権を挿入することで、社会事業は、「社会連帯の思想を出発点とし、根柢として行はれて居る社会生活の幸福を得しめ、社会の進歩を促そうとする努力」「今の社会に、もう少し。私達の社会という観念、自覚をふるひ起こしたいものと望む」(いずれも田子一民『社会事業』1922年より)に見られる「努力」「自覚」と言った個人の主観に根拠づけたものから生存権という国民の基本的人権という法的に客観的に保証されたものに根拠づけようとすることが志向された。
しかし、8月1日委員会で、森戸委員は、23条改正案を
第1項 全て国民は健康にして文化的水準に応ずる最小限度の生活を営む権利を有する
第2項 この権利を保障する為に、国は全ての生活分野に付いて社会福祉、公衆衛生の向上及び増進を図り、社会的生活保障制度の完成に努めなければならない。
と提案した。
第2項は、政府原案より「社会的生活保障制度の完成」という明確な目標を課すものであり、以降の議論は、政府原案とのすり合わせが委員会討議のテーマになっていく。
犬養委員(日本進歩党)
どうでしょうか、社会的生活保障制度と云うことだけが一寸目立って見えるのですが、これは社会立法に譲ると云うことにして、後は大体二十三条の原文が生きて、その前後に文化的最小限度の生活保障を入れたら、大体精神が生きるのではないか、どうですか、制度は個々の社会立法に譲っては如何でしょう
と「社会的生活保障制度の完成」を国家義務から外し、折衷案として、23条を基本法と位置づけ、後は個々の社会立法に委ねる方式を提唱した。この方式は現代にいたるまで継承されていると言える。
残りの論点として、「最小限度の生活」の捉え方が残ることになった。
実際その直後、佐藤(達)政府委員は「最小限度の生活」の捉え方を質している。
佐藤(達)政府委員
一寸参考にまで御尋ねしたいのですが、字句の問題で恐縮でありますが、「健康にして」と云ふのは、是は健康な生活を営むと云ふ所へ一つ入るのですね、それから「文化的水準に應ずる最小限度の生活」と云ふのは、先程大島さんが最低限度の文化生活と言はれましたが、それと違ふのでありませうか、それから前の案は最小限度の文化的水準の生活と云ふのを、後で御言葉を御直しになつて文化的生活を有する最小限度と言はれましたが、其の意味を御説明願ひたいと思ひます
森戸委員
是は統一的最小限度でない、文明の程度がありますから、日本が「アメリカ」の程度の生活を保障することは出来ない、其の国の其の時の文化水準に応じた最小限度の生活と云ふ意味です
佐藤(達)政府委員
分りました
森戸委員の説明に他委員から特段の異論は記載されていない。この一連の過程において、強く国家・政府が社会全体の幸福の実現のために主導的な役割を果たすというより、「その時々の文化水準に応じた最低限の生活」の保障のための努力義務程度を果たす受動的な役割に国の役割は収まった印象は免れないであろう。こうした議論から、「プログラム規定説」のような、生存権は、25条によって、国民が最低限度の生活を営むことができるように国に対して努力するよう要求しているだけであって、国民は国に対して「具体的な措置を講ずるよう請求できる権利」はないという解釈が成立する余地を生んでいると言える。
結局、social welfare=「国民・社会全体の幸せ」「社会全体が幸福になる状態」と解釈するのか、社会事業として解釈するのかが曖昧であった為、委員会論議は第25条の条文について最後まで、「社会の福祉」なのか「社会福祉」なのか、またその内容を具体的積極的に定義づけられないままに審議が終わらざる得なかったといえる。
「社会保障」「公衆衛生」は目標が生活保障や衛生といった個別具体的に定まる概念だ。しかし「社会福祉」は本来個人的な価値観である「幸せ」を社会的・共通の概念として取り扱うので、定義に工夫が問われたのだが、憲法制定時にはそれは果たされなかったといえる。
では、どう定義づけるかそれは次回で。