*本投稿は、7月26日に間に合わせようとしたが、史料の読み込みや考察をまとめるために思いのほか手がかかりその日に投稿できなかった。知的障害福祉に携わる者として、殺された方々に哀悼の意をささげるとともに、心にも体にも傷を負わされた方々に今は元気であるか心配な気持ちで一杯だ。関係者の方々には違和感のある仮説かもしれないが、現時点での一つの考え方として読んでいただきたい。
津久井やまゆり園について、判決は確定し、多くの人々が語り、様々な角度から批評しているので、今更自分自身が書くことはないと思いながら、最近やっと読んだ「元職員による徹底検証 相模原障害殺傷事件 裁判の記録・被告との対話・関係者の証言」(西角純志 明石書店 2021)(以下、西角著書と略称する)を史料としながら、自分なりの考えを書いておきたい。テーマは、僭越ながら、ソーシャルワーカーとして死刑囚のアセスメントをし、ここまでの悲劇に至った一つの原因を考えることだ。(その上で、本書は、生々しい裁判での証言記録や年表で構成されているので、史料として取り扱いやすい面がある。)
本書からうかがい知れる、津久井やまゆり園を概観すると
施設入所支援 150名
居住棟は東棟と西棟に分かれ、2階構造
はな・にじ(1階東)・ゆめ(2階東)ホーム(女性)
つばさ(1階東)・みのり(1階西)(男性)
すばる・いぶき(2階西)・のぞみホーム(2階東)(男性)
ホームは、各ホームに食堂リビング・浴室が備え付けられている20名程度を1単位とするユニット制。
生活介護 160名
作業棟、体育館、プールが併設
職員の雇用プロセスは詳しくは分からないが、巻末の関連年表の死刑囚の雇用過程を見ると、生活支援員の職務は、ホーム勤務(施設入所支援)と日中支援課(生活介護)と分かれており、ホーム勤務は、夜勤を伴う身体介護も含め全般を受け持つ。臨時的任用(有期限雇用?)を経て常勤職員(無期限雇用)へステップアップしていくシステムと推測される。
職住分離がなされ、大規模居住施設ながらユニット制(小舎制)も導入されている比較的先進的な構造。
あまりに凄惨で、醜悪だが、入経路及び死傷者、気になった情報を書き出すと(西角著書には侵入経路が図表化されているのでわかりやすい)
1階東棟隅の窓ガラスを割って、はなホームに侵入 女性職員を連れまわし、しゃべれるか否かを確認しながら、5名刺殺・2名負傷
隣のにじホームへ移動 女性職員にしゃべれるか否かを確認しながら、5名刺殺・1名負傷
さらに隣のつばさホームへ移動 自ら特定利用者の所在を確認し、「そう、あいつは殺さないとな!」と発言 その者を含む2名(うち一人は短期入所利用者)刺殺・2名負傷(うち一人は短期入所利用者)(以上、1階東棟)
1階西棟に移動し、みのりホーム(自傷・他害・強度行動障害の利用者が多いホーム?との記述あり)に侵入 7名負傷(家族からの陳述によれば、ほぼ全員自閉症を伴っており、言語的コミュニケーションはできない)
2階西棟に上がり、すばるホームへ移動 3名刺殺
隣のいぶきホームに移動 途中、1度だけしゃべれるか否かを確認 4名刺殺 6名負傷
その後、いぶきホームの非常口から管理棟を通り、正面玄関から逃走
*動線の関係もあるのか、2階東居住棟のゆめホーム(女性)、のぞみホーム(男性)(死刑囚の職場)には侵入していない。
人の本当の考えていることは、その行動に現れる。いくらビッグマウスを叩いても、やっていることが小っちゃいならば、そのビックマウスは虚勢、自分の小っちゃさを隠して大きく見せようとする行動に過ぎないのだ。
「心失者」(死刑囚の定義では、言語コミュニケーションができない、”理性的”な行動ができない 人の心がない者)を殺害しなければならないと主張しているにもかかわらず、確認して確実に実行したのは、はな・にじホームにおいてのみであり、彼なりに「心失者」にピッタリ当てはまると思われる、みのりホームの入居者については刺殺までことが及んでいない。また、男性棟についてはほとんど確認をしていない。(最後のいぶきホームでの問答は、自分の立場を印象付ける目的が主と思われる)
むしろ、つばさホーム(本人が2ヶ月間臨時採用された職場)の殺害行為は明確にその利用者に対して強い憎しみと殺意が見て取れる。
ここから推測されることは
死刑囚は、つばさホームの一部の利用者に対する強い恨み憎しみや怒りを晴らしたいと考え、殺すしかないと考えたこと。(「怒り憎しみ」という感情と「殺す」という行為には明らかに飛躍がある。現時点ではその点は置いておく)しかし、それではあまりにも自分が小っちゃい、心の狭い人間であることがばれるので、「心失者」という理屈を持ち出し、自分の行動に一種の「正当性」をつけようとしたこと。はな・にじホームで尋ねたのは、自分のパフォーマンスを見せつけるためと本当に女性利用者の事を知らなかったから(これだけ大規模で、おそらく同性介助が原則の施設であるから、男性職員は女性利用者のことはほとんど知らないのはありがちな話だ)殺された人が言葉がなくても、表情・身振りで豊かな感情を表現していたことは分かっている。「心失者」どころか人格を持つ存在だったのは様々な証言から明らかで、まともに話しをすればすぐ論破される底の浅いものだ。だから、この死刑囚はまともに家族に向き合わないし向き合えないのだ。だからこそ、彼は家族や心ある人がいくら問いかけてもまともに応答しない。自分の理屈を繰り返すしかないのだ。彼は、自分で人としての心を自ら失った「心失者」を演じ続けるしかない。そして、その為の理屈で自分を理論武装するしかない。
実際、本書では西角氏は「職員公舎から駆けつけた『つばさホーム』の男性職員」(死刑囚と幼馴染でやまゆり園への紹介者と同一人物?)の証言として、殺死傷された4名について、要約すると、職員を「困らせる」存在であり、短期入所利用者は、親が高齢の中繰り返し利用している。等を紹介している。「証言」であるので、著者が聞き取った内容で、裁判に採用されていない証言と思われるが、読む限り、死刑囚がこの4名と関わる中で、強い怒りや「親の暗い顔」という重度障害者不要論の原型を見出していったのは想像難くないと思わせる証言である。
「怒り憎しみ」という感情と「殺す」という行為には明らかに飛躍がある。と書いた。死刑囚に一線を越えさせる強い動機があったはずだ。
これまで、スーパービジョンについて何度か投稿してきた。その中で強調してきたのはパラレルプロセス論であり、利用者支援に支援者が行き詰る時、支援者と組織(スーパーバイザー)の関係も行き詰っているということだった。
この死刑囚と組織の関係はどうだったのだろう?
本書では、関連年表に本人の動向がかなり詳細に記載されている。これをベースに、津久井やまゆり園事件検証委員会が作成した「津久井やまゆり園事件検証報告書」(平成28年11月25日 神奈川県HPにアップ済み)や関係識者の著作物に書かれている関連事実(ほぼ確証のとれると思われるもの)を中心に編集した。 時系列的にならべて、死刑囚と組織の関係について考察してみよう。
採用前の成育歴として公表されている情報を整理していこう。
死刑囚には、大麻・刺青・イルミナティカード、終末論等怪しいアンダーグラウンドな要素が付きまとっているが、判明している事実を整理してみよう。(「相模原障害者殺傷事件」(朝日新聞取材班 朝日文庫 2020年7月30日刊)等に基づく)
死刑囚は、津久井やまゆり園の近隣に一人っ子で育った。小学校の頃は、「明るく人懐こくて、目立ちたがり」「成績は中の下」「低学年の時『障害者はいらない』という作文を書いた。」(死刑囚が子供の頃から「異常」な偏見を持っていた事例とひかれているが、本人も子供っぽいおもいつきと否定している。ちなみにその作文は内容はどこにも掲載されていない)中学校はバスケ部に所属、飲酒・喫煙・万引きに加わり、不良グループとの交流もあり、一時は両親や教師に激しく反抗したり、学習塾でガラスを割ったりした。高校時代は都内の私立高校へ進学。バスケ部所属、クラスのリーダー的存在。激しやすいことがあり物に当たることがあったが、高3頃には落ち着いていた。大学は、都内の私立大学の教育学部にAO入試で入学し、小学校教諭を目指し、講義にも真面目に出席し、学童保育のバイトも行っていた。スノボ部に所属。「人気者。誰とでも分け隔てなく付き合い、人の輪に入れずにいる後輩に助け舟を出す優しさもあった。」20歳、大学2年生頃から茶髪にし、「はっちゃけた」服装になり、刺青をいれ「彫り師になりたい。」と言い始める。危険ドラッグ(脱法ハーブ)を吸い始める。大学4年教育実習を受ける。「どんな人とも明るく接し、積極的に取り組む」「こどもの言動に敏感、児童の指導に関心が高い。」等肯定的評価が高く、総合評価B。しかし実習後、教師になるのをあきらめる。危険ドラッグ(脱法ハーブ)を毎日吸うようになり、効いている時と効いてない時の境が分からなくなる。2012年3月大学卒業。小学校教諭免許1種を取得。教職への就職活動は特にせず、中学校の友人の話を聞いて興味を持った自販機のベンダー会社に4月就職。仕事がきついとこぼしている時期、2012年夏同窓会で、やまゆり園で働く友人の話に興味を示し、やまゆり園への求職活動を開始する。
人づきあいがよく、友人のつながりのそこそこある目立ちたがりな(見栄えを気にする気もあるかもしれない)明るい性格。自分の進路について明確な目標がない、自分にもそれほど自信やポリシーもない(ある意味真面目)中で将来をつかみあぐねている心象風景が浮かんでくる。前向きに頑張っている場面と崩れている場面が極端な印象を受け、崩れる時は自分を過度に追い込み、逸脱していく傾向が見て取れる。(刺青を彫る、危険ドラッグ(脱法ハーブ)・大麻を常習する。出会い系で出会った女性にAV出演を強要する等社会から逸脱する行為が上げられている。)
慢性的な人手不足を抱える知的障害福祉の業界で、学歴、教員免許、年齢、経験及び面接時に見せた前向きに生きようとしている時の姿を見れば、共同会が採用しようと思っても無理はないと思う。又彼にとっても、やまゆり園への就職はこれまでの前向きー崩れ・逸脱の繰り返す自分への決別とか再び前向きに生きようとする気持ちの表れの側面があったのではないかと考えてしまう。
関連年表(採用時から辞職まで)
2012年
8月25日
法人主催の説明会にサイトより予約し参加
9月10日
第一次採用試験受験
志望動機
学生時代に障害者支援ボランティアや特別 および学童保育で3年間働いたこともあり、福祉業界への転職を考えた。
9月20日
実務試験を受験(愛名やまゆり園)
9月27日
共同会は、職員として採用することを内定。 面接の 評価は「明るく意欲がある。 やる気も感じられる」というもの。、「伸び代がある」との判断から採用が決まった
12月1日
共同会は非常勤職員 (日中の支援補助)として雇用
2013年
2月1日 共同会 臨時的任用職員(生活3課つばさホーム)として雇用
4月1日
常勤職員 (生活2課のぞみホーム)として採用
*意欲があるとはいっても、正規採用までにはステップを踏む。まず3ヶ月日中活動の経験を踏ませ、次に常勤職員並みに夜勤ができるように経験を積ませ、のぞみホームへ常勤職員として配置する。ただ、利用者関係が厳しい印象のあるつばさホームでの継続配置ではなく、のちの殺害対象者のいないのぞみホームへの配置を新年度に決めたのは、未経験者である死刑囚には荷が重いと考えたからではないかと想像してしまう。
のぞみホームに配属されてからの働きぶりはどうだろう。
2013年4月
のぞみホームに常勤職員として配属(20名の入所者 夜勤1一人体制)
2013年5月
のぞみホーム利用者の手首に「腕時計」の絵を描き、上司より厳重注意
5月頃から
服務関係や利用者支援について、幹部職員より指導が始まる。食後のテーブルの拭き方が雑という支援技術の未熟さ、終業時間前の退勤といっただらしなさを上席者から指導される
園は「未熟な部分を指導しながら育てていかなければいけない職員」という認識。
2014年
12月31日
入浴支援中に同僚が刺青(背中一面に般若の面)を発見してホーム長に報告
2015年
1月23日
園と法人とで対応を協議し、 警察や弁護士と相談。 弁護土からは、 刺青を理由とした解雇は困難と助言された
2月6日、17日
面接 (園長、総務・支援・地域支援部長、 生活2課長)
面接では刺青を確認し、反社会的勢力との関係性や被疑者の考えを確認するとともに、業務中には一切刺青を見えないように自身で工夫すること、刺青のことを報告した同僚を逆恨みしないように伝えた。
本人はそれを了解し、今後も仕事を続けたいと話した。「以降、概ね月1回程度、園の幹部職員が面接を継続実施し、園としては、刺青について支援上不適切と考えていることを説明し、業務中は見えないようにするよう指導した。」
3月以降
概ね月1回、 面接指導を実施した
4月
リスクマネジメント委員任命
6月頃
「意思疎通のとれない障害者は生きている資格がない」「重度障害者は人間扱いされずかわいそう」と発言(西角著書より)
11月16日 〜17日
ホーム長からの報告により、 服務上の指導を行う (終業時間前の退勤、エプロン内にライターが入っていたこと などに対する注意、タバコやライターの所持禁止の指導)
「刺青の把握後から、園長以下管理職は当該職員の行動等 についてきめの細かい観察と指導を行」い、本人は「食卓を荒っぽく拭き、ゴミを床に落とすなど雑な場面はあったが、大きな問題はなかった」
この評価は退職直前まで変わらず、基本的な対応の枠組みは、刺青だけではできないので、きめ細かに観察指導を行ったが、大きな問題は退職直前まで見られなかったというものだと解される。
公式の報告書においては、全体として技術的にも社会的にも未熟な職員として描写され、時に刺青発覚事件以来、概ね月1回の面接指導を行ったとされている。つまり、毎月個人スーパービジョンを実施していたとこととなる。スーパービションとしては手厚い体制だ。しかし、疑問なのは、6月に「意思疎通のとれない障害者は生きている資格がない」「重度障害者は人間扱いされずかわいそう」という支援の価値観に引っかかる発言が確認されているのに、その発言に対していかなるスーパービジョンがされて解決されたのかは記載されていない。(それとも、何等かの支援現場への批判だったのか)「食卓を荒っぽく拭き、ゴミを床に落とすなど雑な場面はあったが、大きな問題はなかった」ということは、このスーパービジョンの場は、本人の支援技術の未熟さについて「指導」する場でしかなったのか、死刑囚の支援上の悩みを解決する場ではなかったことが示唆される。
着任早々5月、のぞみホーム利用者の手首に「腕時計」の絵を描いたことが不適切支援?として上司に厳重注意されたとなっており、この死刑囚の人権意識のなさを例示する事例として挙げられているが、関係者には常識なのかもしれないが、いかなる意味で指導の対象なのかを明示する公的文書は確認できなかった。確かに人の皮膚に強引にマジック等で差別的な言語を描いたならば、身体的・精神的虐待に該当する。注意した上司は、たとえ「腕時計」の絵でも「虐待の芽」であり、将来虐待につながる危険性があるものとして問題視したかもしれない。しかし、これが利用者が要望し、例えば腕時計がその場になかったから代替的に絵を描いて情緒を安定させたとしたらどう判断されるであろうか?また、自分の腕にも時計の絵を描いて、二人でふざけあいっこをしていたらどうだろうか?支援方法の未熟さ、コミュニケーション技術の幼稚さは指摘指導対象となるが、これをもって死刑囚が最初から人権意識がないと例示するのはいかがなものか。
そして、刺青である。「背中一面の般若面」は何故かネットで検索すると見ることができる。見る限り、線彫りで終わり、色とかは入っていない中途半端なものであると思われる。学生時代の逸脱した時期に彫ったもので、かつ彫り師の師匠から破門もされているので未完成に終わった「若気の至り」(しなければよかったのにと思うが)ものだ。発見された時、「園と法人とで対応を協議し、 警察や弁護士と相談。 弁護土からは、 刺青を理由とした解雇は困難と助言された。」とあるということは、初めから園・法人側は解雇前提で対応を考えていたと推測される。刺青をいれている者=反社会的存在=排除対象という一種潔癖な価値観や嫌悪感があったのではないか?しかし、この価値観は元受刑者や元暴力団関係者の社会復帰支援が社会的課題になる時勢の中で(特に社会福祉法人として)適切なものだったか?(まして本人は関係者ではない)
2月6日、17日の記録を再度見直すと、「『面接では刺青を確認し、反社会的勢力との関係性や被疑者の考えを確認するとともに、業務中には一切刺青を見えないように自身で工夫すること、刺青のことを報告した同僚を逆恨みしないように伝えた。本人はそれを了解し、今後も仕事を続けたいと話した。『以降、概ね月1回程度、園の幹部職員が面接を継続実施し、園としては、刺青について支援上不適切と考えていることを説明し、業務中は見えないようにするよう指導した。』」と支援業務を続けていくことを希望したことが記載されている。つまり、彼が「障害者に生きる価値がない」と思想化するのはこれ以降のことである。スーパービジョンの進行とともに「障害者に生きる価値がない」という思想が芽生え完成され行動化していくという皮肉な展開が生じたのだ。
刺青発覚事件及びその前後の本人についての情報は公式の報告書には記載されていない。しかし、月刊「創」が精力的な取材を取り組んでおり、2021年8月号やYahoo!ニュースでこの期間の職場実態の一端が明らかにされている。
相模原障害者殺傷事件・植松聖死刑囚に関するやまゆり園の内部資料が示す新事実(篠田博之) – エキスパート – Yahoo!ニュース(月刊「創」2021年8月号にも同様の記事が所収されている)
またこの記事と重なり合うように、西角著書においても
現役職員への聞き取りでわかったことは、植松は2016年2月18日に退職するまで、20枚以上の ヒヤリハットや事故報告書を書いていることである。その内容をすべて公表するわけにはいかないが、 どれを見ても通り一遍のもので、立ち入ったものではない。 報告書自体、極めてシンプルな様式である。報告書にはホーム長やリスク委員、上席者のコメントがある。2015年4月6日の報告書には リスク委員として○○〇の名前があるから驚きである。園は○○を危険人物として把握しておきながら権利擁護の中核を担うリスクマネジメント委員に〇〇を抜擢しているのだ。この件について園の職員に尋ねると「持ち回りで委員を担当していた」という。法廷や面会では「浴槽で溺れ 利用者を助けても感謝されない」との趣旨の発言がみられたが、これは「のぞみ」時代に書かれたものであることがわかった。
同僚の職員によれば、「友人の誘いでいたが働いてみると虚しく感じた」という。「刺青がバレて周囲から見放され、孤立していた」との証言もある。つまり、周りの職員からはバカにされていたというのだ。 つばさホームで一緒に働いていた女性職員によれば、正規になり、のぞみホームに移って辞めたいという旨の発言があり、○○本人は孤立していたのではないかというのだ。 (「元職員による徹底検証 相模原障害殺傷事件 裁判の記録・被告との対話・関係者の証言」P226-227より)
*lookeronの見解としては
西角氏は、指導対象職員である本人がリスクマネジメント委員についていることに疑問を呈しているが、逆に4年目という中堅職員というポジションであり、リスク評価をすることでリスク意識や事故防止意識を養わせようとする発想は往々にしてあることと思う。(毒を以て毒を制すという考え方でもある)また、ヒヤリハットや事故報告書の記載の仕方が通り一遍、他の本では表面的という批判が散逸しているが、インシデントレポートの書き方は研修等で習得していくものであるし、決裁系統が明確な施設では基本的にチェックされる。つまり、集団的に作成されるので、本人の資質の問題だけではなく組織の水準を示しているのだ。「通り一遍」「表面的」という批判はのぞみホームや園・法人全体に向けられるべきものである。
本人が「感謝されていない」と非難した入浴事故についても、のぞみホーム自身が本人のとりくみをわざと正当に評価しなかったのか、そもそも重大事故と把握しなかったのか不明であるが、重大視しなかったので外部的に明らかにならず、だれからも感謝されないことになったのだ。
自分の過去の行動に一端はあったとはいえ、園・法人・同僚から心理的な支援、承認もされず、毎月面談指導という「管理・監視」をされる職場環境で勤務をし続けなけらばならないとしたら、もともと逸脱しやすい傾向がある者はどう行動するのだろうか?追い詰められ、理性的な判断は後ろへ退く。怒りの矛先は、自分ではなく(自分の過去に向き合いたくないから)、園・法人・同僚でもなく(人を非難したくないから)、大麻への過度の依存や陰謀論やオカルトに理論づけを求めた結果は、支援者としての理性や価値観は失われ、断片的な感情に支配されて、障害者抹殺思想に行きつき、「重度知的障害者の存在」という抽象的なものに矛先を向けることで彼なりに精神の「安定感」を得たのだ。それ以降は、雪だるまのように転げ落ちていく。これが、「一線を越えさせた」原因かもしれない。以下の展開は目を覆いたいくなるような展開だ。
2015年12月
園の忘年会一次会でつばさホーム長に 「障害者って生きていても意味なくないですか」と発言し、口論。
「利用者を力で押さえつけた方がいい。その方が言うことを聞く。」という本人の主張にホーム長が「そんなことを言うと孤立するぞ。」と諭される。(公式の報告書には記載なし。西角著書に記載あり。)
2016年
1月
友人に犯行計画を話し、襲撃に誘う
2月12日
夕食介助中、 同僚職員に「障害者にやさしく接することに意味があるか」としきりに訴えた
2月13日
安部総理大臣宛の手紙を書き届けようとしたが、警戒が厳重で引き返す。
2月14日
衆議院議長公邸を訪問し、議長あての手紙を渡そうとするが、「休日である為対応できない」として受け取り拒否される。
2月15日
再度、議長部に出向き 手紙を渡し、受理される。手紙には園の名前と、利用者を殺すとの内容が記載されていた。同日、津久井警察署から 電話があり、容疑者、シフトについての問い合わせがあった。 総務課職員が対応し、 勤務シフトについて回答するとともに、最近の様子は不明と回答した。
2月16日
麹町警察署より法人事務局 (事務局長)に連絡。 衆院議長に手紙を渡したことを伝え、身分確認についての問い合わせ
津久井警察署の幹部職員2名が来園 (総務部長が応対)。 署より「被告を勤務中1人にするな」 と言われ、当分は 夜勤がないことを確認した。
衆院議長に渡した手紙の内容を伝え、対応を話す;
2月17日
津久井警察署来園 (園長 総務部長・支援部長が応対)。対応について話す。
2月18日
園内で情報収集したところ、 生活第2課長や看護課長から報告があった
「これまでは時々、上司の受け答えなどに不適切な発言 はあったが、気にならない程度だった」 「2月12日頃より、ひどくなっている様子が伺えた」 「18日の勤務中が特にひどく見受けられた」
2月12日様子を報告
看護師2人に、 AM 「この処置は本当にいるのか。 自分たちが手を借さなければ生きられない状態で本当に幸せか」 PM 「生きていることが無駄と思わないか」と質問した。 看護師は支援の大切さを論した。
同日ホーム長が宿直の形で加わり、 警備員巡回を強化。 明日の面接を決めて、面接時にその場での待機を依頼した。
2月19日
12時頃から、園長、総務部長、支援部長がやまゆり園にて面接を行った。常務理事、法人事務局長と津久井警察署員(3名)は、面接時隣室で待機。
面接では、園長が、日頃の障がい者に関する人権侵害と受け取れる言動(「重度の障がい者に優しくしても仕方がないだろう。生きていても仕方がない。安楽死させた方がいい。」と言ったことなど)、衆議院議長への手紙、被疑者の考え、被疑者が障害者支援施設職員の仕事を続けることについて、被疑者に考えを聞いた。 被疑者は、「園内での発言は自分が思っている事実であり、約1週間前に手紙を出した。自分の考えは間違っていない。仕事を続けることはできないと自分も思う。」と述べ、突然「今日で退職する。」と申し出た。
それを受けて、総務部長が被疑者に辞職願の用紙を渡すと、被疑者はその場で記入して提出し、自分の荷物を取りまとめ、園に所持していた鍵を返却した。被疑者は警察官職務執行法第3条に基づき保護されて津久井警察署へ行くことになり、園長と総務部長もそれに付き添った。(この過程についても適切であったかどうかは議論の余地があるが、何か機会があれば別稿でふれたい。)
形だけのスーパービジョンと支援者を孤立させることが重大な結果を引き起こす可能性を考えてみた。しかし、ここで書いたことはあくまで仮説である。本当の真相は、公的な報告書で明らかにされていないそして調査されていない2013~15年の支援現場の実態の解明にあるのではないか?その部分の情報公開やソーシャルワーカーによる専門的な調査解明が求められるように思う。
改めて、犠牲者の方々には哀悼の意を、生き残った方々には敬意を捧げたい。そして、こんなことが繰り返されないような支援の仕組みを考え続けたい。
(追記)
死刑囚の彼が職場で孤立し誤ったスーパービジョンを受け追い詰められていたからと言って、殺戮行為が許される訳では無い。むしろ一番最初に女性棟を襲ったところに男性優位を誇示し、自身が殺戮マシーンであること誇示しようとしたようにも思われ、許しがたい。
2013~15年の支援現場の実態があきらかにされていないことは、動機の真の解明を妨げている。個人面談でなにが述べられたのか解明のためには必要だ。事件を語る識者の中には、組織に所属していた死刑囚として分析するではなく、直接死刑囚そのものを分析し、ダイレクトに優生思想や優生テロにリンクさせようとする論調が多い。しかし、yahooニュースで述べられたようにそもそも支援現場に不適切な支援や虐待が容認されていた職場の上司に、スーパービジョンという名の「指導」を受けてたら、パワハラ、ブラックジョークとしか言いようがない。虐待の解明については組織的背景を分析することを求め、組織的改善を図るのに、何故この事件についてはその立場を適用しないのか?支援現場の実態を明らかにしていない時点で、死刑囚と園と法人は事情はどうあれ「共犯」関係なのだ。積極的な開示解明を求めたいところである。