さて、スーパービジョンである。
いつの頃か、虐待防止の先進的な取り組みを行っている実践の中に、「スーパービジョンを行っている。」(例えば、上司が部下に仕事上の悩みを聞く時間を設ける)とする文言を見ることが増えてきた。実践している側にとっては、常識なのかもしれなかったが、実践されている面談の報告もあまり見られない中で、性格的にひねくれている僕は、そんな事をしたところで…効果があるのか、形式的なものに過ぎないのではないかとか斜めに考えていた。考えが大幅に変わったのは、今から10年ほど前に植田寿之先生が主宰しているスーパーバイザー養成講座を受講してからだ。僕の抱いているスーパービジョンのイメージ(バイザーとバイジーの対面での対話というイメージ)は一新された。支援者の対人援助・利用者支援に係るすべての対話・集団討議は、スーパービジョン(もしくはスーパービジョン的関係)であり、ケースワークに用いられる技法や原則を意識的に使用することで支援者は支援において実り多い気づきやモチベーションを得ることができる。そして。そのカギはこれまで解説してきたバイステックの7原則の応用にある等々。以降、職員と話し合いをする時は、バイステックの応用を意識するようになった。

スーパービジョンという言葉が独り歩きしている感があるので、少し言葉等を整理してみよう。
辞書で調べてみるとsupervisonという単語は、日本語では「管理」「監督」という意味を持ち、supervisor「管理人」「監督者」を意味している。だから、スーパービジョンと我々が話す場合は、あくまで「ソーシャルワークにおける」という限定付きで考えるべきだ。
定義は、あれやこれやソーシャルワークの専門家でない人が述べている言葉より、公式的な定義を述べているものを参考にした方がよい。

新・社会福祉士養成講座8 相談援助の理論と方法Ⅱ(第2版)(現在、3版が出版されているが大きくは変わっていないと思う)から主要な部分を抜き出すと

定義
ソーシャルワークにおけるスーパービジョンとは、ソーシャルワークを行う施設や機関において、スーパーバイザーによって専門職としてのソーシャルワーカーを養成する過程である。

構成要素
スーパーバイザー
スーパーバイジー
スーパービジョン関係
養成講座には、さらっと「ワーカーがクライエントとよい援助関係を形成するためには、ワーカーがスーパーバイザーとのよいスーパービジョン関係を体験することが重要になる。」と後から詳しく説明するが、すごく大切なことが書かれている。
その他の構成要素としては、
契約(目標と課題設定、回数、実施場所、費用、形態と方法、バイザーの責任範囲、約束事)
過程
養成講座には、さらっと「その過程では、スーパーバイジー自らが自分自身の顕在的・潜在的な力を活用して成長を遂げる。スーパーバイザーは、そのことを側面から援助する。」とこれも後から詳しく説明するが、すごく大切なことが書かれている。
相互作用
テキストには「スーパービジョンの過程のなかでスーパービジョン関係が展開し、スーパーバイザーとスーパーバイジー両者は相互に作用し、お互い成長する。」「スーパービジョンは、スーパーバイザーからスーパーバイジーに一方的に指示したり助言をしたりするものではなく、常に両者の相互作用の中で進められていく。」と、スーパーバイザーは過程を管理するのみでバイジーその人を管理するをけではない、対等な関係であることが記載されている。

スーパービジョンの機能
①支持的機能 「スーパーバイジーであるワーカーや実習生を支える機能」
 具体的には
 バーンアウト(燃え尽き症候群)を未然に防止する。
 自己覚知を促し、それに伴う痛みを軽減する
 自己実現を支え、それに伴う痛みを軽減する
②教育的機能
 ワーカーの学習意欲を高める
 具体的なケースを通して理論と実践を学ぶ
 ソーシャルワーク実践に必要な知識・技術・価値を伝授する
養成講座では、さらっと「価値に基づくソーシャルワークを実践するために、専門職団体は倫理綱領を設置している。また、バイステック(F.P.Biestek)に代表される援助関係形成の原則も、価値に基づく実践をするため指標と言っていいだろう。」とバイステックの7原則を示唆している(のだが、どのように使うのかは展開されていない。)
③管理的機能
 ワーカーが能力を発揮できる職場環境を整える
 ワーカーが組織の一員として活動できるようにする

テキストにある「ワーカーがクライエントとよい援助関係を形成するためには、ワーカーがスーパーバイザーとのよいスーパービジョン関係を体験することが重要になる。」とはどのような意味か?テキストに後段で触れてあるが、クライアントと援助者との間の(援助)関係とスーパーバイジー(=援助者)とスーパーバイザーとの間のスーパービジョン関係には同じような「感情面の困難」が生じるというパラレルプロセスという現象が生じる。
植田先生の著書「対人援助のスーパービジョン よりよい援助関係を築くために」(中央出版 2005年刊)では「好ましくないパラレルプロセス」の例として、援助者のことを「ソーシャルワークの基本がわかっていない。個人的な感情で動いている。けしからん。」と見て、至極もっともな原則論を述べたり、援助者にいらだちや怒りを表すスーパーバイザーの指導を受けている援助者は、利用者に対する複雑な感情を受け入れてもらえなかったと嫌な思いを抱いてしまう。すると、援助者は、スーパーバイザーに相談をして怒られたくない、いやな思いをしたくない為、クライアントに対するかかわりをより悩みながらしてしまい、ギクシャクしクライアントに対して嫌な思いを生じさせてしまうことが上げられている。このように援助関係とスーパービジョン関係は相互に関わり関連しあっているというのがパラレルプロセスである。
この関係性を理解すると、実は耳の痛いことが浮かび上がる。利用者支援で行き詰ったり、不適切な支援が起こっている場合、実は援助者と指導する上司・組織との関係もうまく行っていない。また逆に、援助者と上司・組織の関係に摩擦・葛藤がある場合、援助者の利用者支援は行き詰ったり、不適切な支援が起こる確率が高いということだ。

ちなみに、支援現場は、スーパービジョン関係がいたるところで転がっている。

上司に利用者等のことを相談したら、個人スーパービジョンだ。カンファレンスをすればグループスーパービジョン。面談に上司や先輩が同席したらライブスーパービジョン。同僚同士で支援関係の打ち合わせ会議や愚痴を言いあったら、ピアスーパービジョン。自分で考察を付けた報告書を作成していたらセルフスーパービジョンだ。要は、スーパービジョン関係を意識して行うか否かで単なるルーチンワークにおさまるか人材育成のスーパービジョンになりおおせるかが決まるのだ。

ソーシャルワーカーの行動規範・倫理は、
例えば、ソーシャルワーカーの倫理綱領(社会福祉専門職団体協議会代表者会議 2005年1月27日制定 日本ソーシャルワーカー連盟代表者会議 2020年6月2日改定)では、

原理として
Ⅰ(人間の尊厳) ソーシャルワーカーは、すべての人々を、出自、人種、民族、国籍、性別、性自認、性的指向、年齢、身体的精神的状況、宗教的文化的背景、社会的地位、経済状況などの違いにかかわらず、かけがえのない存在として尊重する

Ⅱ(人権) ソーシャルワーカーは、すべての人々を生まれながらにして侵すことのできない権利を有する存在であることを認識し、いかなる理由によってもその権利の抑圧・侵害・略奪を容認しない。

Ⅲ(社会正義) ソーシャルワーカーは、差別、貧困、抑圧、排除、無関心、暴力、環境破壊などの無い、自由、平等、共生に基づく社会正義の実現をめざす。

Ⅳ(集団的責任) ソーシャルワーカーは、集団の有する力と責任を認識し、人と環境の双方に働きかけて、互恵的な社会の実現に貢献する。

Ⅴ(多様性の尊重) ソーシャルワーカーは、個人、家族、集団、地域社会に存在する多様性を認識し、それらを尊重する社会の実現をめざす。

Ⅵ(全人的存在) ソーシャルワーカーは、すべての人々を生物的、心理的、社会的、文化的、スピリチュアルな側面からなる全人的な存在として認識する。

が謳われている。これは、クライアントとの関係だけではない。ソーシャルワーカー相互の関係性をも規定する。つまり、「スーパーバイザーからスーパーバイジーに一方的に指示したり助言をしたりするものではなく、常に両者の相互作用の中で進められていく」とは、人権・社会正義・多様性といった価値観で結びついた関係のみでバイザーとバイジーは結びついているので、上位・下位と言った権力関係や組織原理で議論をしてはいけないことを示唆している。セクハラ・パワハラは論外、差別・偏見、蔑視も論外。裏付けや根拠のない個人的な価値観や上下関係で強制的に行動させることもあり得ない。営利企業のように金銭利害で結びついている組織とソーシャルワーカー集団の違いはそこにある。

これはこれで大変なことなのだ。実際の人間社会では、人権・社会正義・多様性といった価値観が目指されてはいるが完全実現したことは現時点ではない。長い長い歴史の中で培われた差別意識や偏見、優性思想、人に優劣をつけるシステム等は社会的感情としてはびこっており、その中で我々は生活し、影響を受けてたり、DNAのように刻みつけられている。ある意味、人類はこうした社会的感情との葛藤克服の中から人権・社会正義・多様性といった価値観を作り上げようとしているとも言える。私たちの感情の中には、人権・社会正義・多様性といった価値観と差別意識や偏見、優性思想、人に優劣をつける感情とのせめぎあいが起こっていると言ってもいい。ソーシャルワーカーは、人権・社会正義・多様性といった価値観を自分の行動信条にすることを求められている。場合によっては、自分の劣情を無理やり抑え込んで、人権・社会正義・多様性といった価値観を優先させなければならない。こうした心理状況を、僕は「ろ過機のカートリッジ」に見立てることにしている。社会的感情である限り、社会が変わらない限り、劣情はなくならない、自分で昇華していくか(これが望ましいのは言うまでもない)、無理くり納得させて、本音を貯め込んでいくしかない。ろ過機のカートリッジは、水を浄化するが、水に含まれていた不純物はカートリッジにため込まれ、ろ材を汚し、ろ過機のポテンシャルを落としていく。だから、カートリッジは洗浄されるか交換されなければならない。
逆説的であるが、優れた倫理観・価値観を高らかに謳い上げている支援者集団である方が、支援現場でぶつかって生じる差別意識や偏見、優性思想、否定的な感情が支援者内部に蓄積しやすく、発露しにくいのだ。
ここにスーパービジョンで行わなければならない課題がある。つまり、支援者の心を開き、マイナスな感情を発露させること、そしてその感情が生じる根拠となる臨床事実に立ち向かう勇気・意欲を再生させることだ。
そのカギは、バイステックの原則の

にある。

次回、再びバイステックの原文にも戻って、二つの意味を考えてみよう。

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