閑話休題

なかなか落ち着いて史料を整理して投稿記事を書く暇が取れないので、支援現場で整理してきたことを書いてみたいと思う。

「生活支援員」という職業は、今では知的障害者の生活を介護したり、生産活動や創作活動を援助する職業で資格を特に求めないということになっているが、措置費制度から支援費制度までは、「生活指導員」「生活支援員」と総称され、資格要件があった。「心理学、教育学、叉は社会学を大学で納めて卒業した者」「心理学、教育学、叉は社会学を大学で納めて卒業してなくても高校を卒業して2年以上知的障害福祉に関する事業に携わっていた者」叉は「精神薄弱者の更生援護に関し相当の学識を有すると認められた者」がそれだ。こうした経緯から、僕は生活支援員は、相談支援+介護の機能を持つソーシャルワーカーの役割を持っているし、ソーシャルワークについて専門性を高めなければならないし、ケア技術についても一通りできないといけないと思っている。(今では無資格、何でもありの職種になっているが、人材育成の方向はソーシャルワークを身に着けていってもらうことと思っている。)社会福祉士という国家資格は、本来は国が、その人を社会福祉の専門家若しくはソーシャルワーカーと認定するための国家資格と思っているが、カリキュラムも制度論が広範すぎて、ソーシャルワークの世界観や人間観や倫理、技術については資格取得してから自分で磨かないと血肉化しないように思う。(制度の知識が必要ないというわけではない。)資格のとらえ方は人それぞれだから、資格を取得してゴールとする人もいれば、スタートにする人もいるだろう。(日本社会福祉士会は、ソーシャルワークのエキスパートとしての研鑽を促すため資格取得をスタートにして内部資格として、認定社会福祉士や認定上級社会福祉士を設けている。)社会福祉士資格とは、自己研鑽する気がないなら「福祉制度を普通よりよく知っている」程度の資格であると思っている。

さて、ソーシャルワークである。ソーシャルワークを一言、二言で説明せよと言われたらどうするか?

次の二つが公式の定義

国際ソーシャルワーカー連盟の「ソーシャルワークの定義」(2000年定義)
ソーシャルワーク専門職は、人間の福利(ウェルビーイング)の増進を目指して、社会の変革を進め人間関係における問題解決を図り、人びとのエンパワメントと解放を促していく。ソーシャルワークは、人間の行動と社会のシステムに関する理論を利用して、人びとがその環境と相互に影響し合う接点に介入する。人権と社会正義の原理は、ソーシャルワークの拠り所とする基盤である。

ソーシャルワーク専門職のグローバル定義(2014年採択)
(一部抜粋)
原則
ソーシャルワークの大原則は、人間の内在的価値と尊厳の尊重、危害を加えないこと、多様性の尊重、人権と社会正義の支持である。

人権と社会正義を擁護し支持することは、ソーシャルワークを動機づけ、正当化するものである。ソーシャルワーク専門職は、人権と集団的責任の共存が必要であることを認識する。集団的責任という考えは、一つには、人々がお互い同士、そして環境に対して責任をもつ限りにおいて、はじめて個人の権利が日常レベルで実現されるという現実、もう一つには、共同体の中で互恵的な関係を確立することの重要性を強調する。したがって、ソーシャルワークの主な焦点は、あらゆるレベルにおいて人々の権利を主張すること、および、人々が互いのウェルビーイングに責任をもち、人と人の間、そして人々と環境の間の相互依存を認識し尊重するように促すことにある。

人権と社会正義の支持、人間の内在的価値と尊厳の尊重、危害を加えないこと、多様性の尊重を基本原則として、「人と人の間、そして人々と環境の間の相互依存」を認識したり、尊重するよう促したり、介入すること。

ソーシャルワークは、人(クライアント)と環境(支援者もその一部)の相互作用によって行動や問題が生じるという人間観、社会観に基づいている。当たり前のようだが結構これは奥深い。支援現場に当てはめると、他害行為をする知的障害を持つ利用者がいるとしよう。ソーシャルワークでは、他害行為は、利用者とその取り巻く環境(生活空間、スケジュール、支援者の態度等)の相互作用で生じると考える。つまり、どちら側にも他害行為につながる原因と責任があると考察することだ。誰かが誰かに危害を加えたら、人はその行為を非難し加害者を糾弾する。逆に、加害者が障害を持っているから暴力に及んだのは周りの環境やタイミングが悪いということもある。ソーシャルワークの立場は、そのどちらにも偏らず加害者(クライエント)の事情、環境の事情双方の絡み合いやバランスを考察し、問題を考察・分析し、介入する立場をとる。このような考察をすることは、人によっては同情心等の感情のない態度かもしれない。(分析するソーシャルワーカー自身もそう考えるかもしれない)しかし、これは、クライアントにも環境にも平等に「人権と社会正義の支持」、「人間の内在的価値と尊厳の尊重」、「危害を加えないこと」、「多様性の尊重」を適用する基本姿勢を持っているからと明示していないと誰からも誤解されるリスクの高い立場だ。

では、ソーシャルワーカーがクライエント・問題に接近する時、上記の立場をどうやって実践したらいいのだろう。ここはやはりバイステックの7原則が古典的ではあるがよく考えられた原則と思う。しかし、この7原則はその神髄がきちんと解説されているとはいいがたい。

先ず、出版されている書名が原文のニュアンスを意訳しすぎと思う。
日本では「ケースワークの原則(新訳版)援助関係を形成する技法」(F・Pバイステック著 尾崎新・福田俊子・原田和幸 訳 誠信書房 1996年)だが
原著では「THE CASEWORK RELATIONSHIP」直訳すれば、「ケースワーク関係」もしくは「ケースワークにおける関係性」、ケースワーカーとクライエントの関係性を論じた本ということだ。

よく7原則として覚えさせられるのは、

個別化
意図的な感情表現
統制された情緒的関与
受容
非審判的態度
自己決定
秘密保持
ところが、何故ケースワークにおける関係性がこの原則に基づくのかの腑に落ちる説明はない。なので、大体暗記物に終わるのだ。原著を読むとこの原則は実はクライエントのニーズの分析から導き出されてたものであることが明確に展開されている。

PART ONE The Essence of the Casework Relationship P17 より

(直訳・Lookeron訳)

この表は、原著に明示されている。
バイステックは、問題を抱えたクライエントは、「個人として扱われたい、感情(気持ち)を打ち明けたい(表現したい)」そして「共感的に接してもらいたい、自分がかけがえのない人間と認められたい、批判・批評されたくない」そして最後は「自分で決めたい」という気持ちを持っており、打ち明けるからには「誰にも口外してほしくない(秘密は守ってもらいたい)」と願っていると考えた。
これは、クライエントでなくても深刻な悩みを抱えたら誰でも思う共通の気持ちではないだろうか。
この気持ちを解決していくために、ケースワーカーはどのような態度が必要か、それを支える原理は何かが7原則である。

原文の方がバイステックのニュアンスがよくわかると思う。(日本語訳本はバイステックのニュアンスと異なったかなり訳者の意図が入った訳と思っている)

individualization
purposeful expression of feelings
controlled emotional involvement
acceptance
the nonjudgmental attitude
client self-determination
confidentiality

(直訳・Lookeron訳)
個別化
目的を持った感情表現
コントロールされた情緒的関与
受容
裁かない態度
クライアントの自己決定
機密保持

日本語訳本では

クライエントを個人として捉える(個別化)
クライエントの感情表現を大切にする(意図的な感情表現)
援助者は自分の感情を自覚して表現する(統制された情緒的関与)
受け止める(受容)
クライエントを一方的に非難しない(非審判的態度)
クライエントの自己決定を促し尊重する(自己決定)
秘密を保持して信頼感を醸成する(守秘義務)

個別化・受容・非審判的態度・自己決定・守秘義務といったキーワードは何となく意味字面を説明できそうだが、”purposeful expression of feelings””controlled emotional involvement”は”???”ピンとこないのではないだろうか?しかし、原文や訳本を読むと

Purposeful expression of feelings is recognition of the client’s need to express his feelings freely,especially his negative feelings.The caseworker listens purposefully,neither discouraging nor condemning the expression of feelings,sometimes even actively stimulating and encouraging them when they are therapeutically useful as a part of the casework service.

(直訳・Lookeron訳)
「目的を持った感情表現」とは、クライエントが自分の感情、特に否定的な感情を自由に表現する必要性(ニーズ)を認識することである。ケースワーカーは、(クライアントが)感情を表現するのを落ち込ませたり非難したりせず、意図を持って耳を傾け、ケースワークサービスの一部分として、感情の表現が治療の一環として役立つ場合には、時には積極的に刺激し励ますことである。

その前段には、こんな文章がある。
First,that as they give expression to their feelings they may be relieved of pressures and tentions which have made the problem deeply disturbing.Thus, as they exprience some change in feeling, they may be enabled better to bear the problem and cope with it more resourcefully and realistically.

(直訳・Lookeron訳)
初めに、自分の感情に表現を与えることで、問題を深く悩ませているプレッシャーや緊張から解放されていくようになる。そのため、感情に何らかの変化を経験すると、よりうまく問題に耐え、臨機応変で現実的に対処できるようになっていく。

これは、「悩みを口に出して聞いてもらっているうちに、混乱してどうしたらいいか分からない心が整理されてどう行動していくべきか考えるようになっていく」 という経験である。大概の人は、悩みや問題を誰かに対して口に出しつまり言語化・外形化することでその言葉で自分を客観視できるようになり心に余裕が出来る螺旋階段のような経験があるはずだ。

(日本語訳本)
クライエントの感情表現を大切にするとは、クライエントが彼の感情を、とりわけ否定的感情を自由に表現したいというニードをもっていると、きちんと認識することである。ケースワーカーは、彼らの感情表現を妨げたり、非難するのではなく、彼らの感情表現に援助という目的をもって耳を傾ける必要がある。そして、援助を進める上で有効であると判断するときには、彼らの感情表出を積極的に刺激したり、表現を励ますことが必要である。

日本語訳本も上記の文章の前にクライエントが感情を言語化する過程で解放されることは訳出されているが、直訳気味に訳出する方がニュアンスが伝わるように思われる。しかし、クライエントの状況によっては、感情の表出は言語化されないことが十分想定される。そこで登場するのが、次の”controlled emotional involvement”の原則だ。

The controlled emotional involvement is the caseworker’s sensitivity to the client’s feelings,an understanding of their meanings,and a purposeful,appropriate response to the client’s feelings.

(直訳・Lookeron訳)
「コントロールされた情緒的関与」とは、ケースワーカーのクライアントの感情に対する感受性、その感情の意味することの理解、クライアントの感情に対して目的を持って適切に応答することである。

特にこの感受性については、次の段に以下の説明がある。

Essentially, sensitivity means seeing and listening to the feelings of the client.
Sometimes clients do not or cannot verbalize their feelings. This may happen most frequently in early interviews, when the client does not feel comfortable enough with the caseworker. It may happen because of the client’s cultural or personality patterns, which frown upon external manifestation of feelings. Or the feelings may be so deep that they cannot, at that particular time, come to the surface to be expressed verbally. However, even though the client does not verbalize his feelings, he does manifest them in some visible or audible way. They may be manifested in his manner of speaking: the rate of speech, the hesitations, the overtones. They may be manifested by the total bearing: the face, the posture, the clothes, the use of the hands. These are clues and indices of the client’s feelings.

(直訳・Lookeron訳)
本質的に、感受性とは、クライアントの感情を見る、耳を傾けることを意味している。
クライアントが自分の感情を言語で表さない、または言語で表現できない場合がある。 これは、クライアントがケースワーカーに対して十分に安心していない初期の面接で最も頻繁に発生することである。 それは、クライアントの文化的または性格的なパターンが原因で起こる可能性があり、感情の外への発現は不快なものになることとなる。 あるいは、感情が深すぎて、その瞬間には言葉で表現できないほどで表出しないこともある。 しかしながら、クライアントは自分の感情を言葉で表現しなくても、目に見える、あるいは聞こえる形でそれを表現する。 それらは彼の話し方、即ち話すスピード、ためらい、声の高さ(倍音)に現れる可能性がある。 それらは、顔、姿勢、服装、手の使い方など、全体的な立ちふるまいに表れる場合がある。 これらはクライアントの感情の手がかりや指標である。

「理解」については、心理学や精神医学、その他の社会科学の知見が必要とし、「応答」は、

the response is not necessarily verbal.Essentially it is a response of attitude and feelings,guided by knowledge and purpose.
(直訳・Lookeron訳)
応答は必ずしも言葉によるものでなくてもよい。本質的に、それは知識と目的に基づいた、態度と感情の応答である。

応答は感情的、情緒的なものになるので、emotional(情緒的) involvement(関与)という用語をここでバイステックは使用したと思われる。クライアントに論理的、理詰めに説得することが正しいわけではないのだ。

(日本語訳本)
ケースワーカーが自分の感情を自覚して吟味するとは、まずはクライアントの感情に対する感受性を持ち、クライエントの感情を理解することである。そして、ケースワーカーが援助という目的を意識しながら、クライエントの感情に、適切なかたちで反応することである。

日本語訳本では、The controlled emotional involvementを「ケースワーカーが自分の感情を自覚して吟味する」と意訳しすぎているし、言語応答が出来ない状況のクライアントへの対応をも説いているのであるから、この訳はニュアンスを伝えきれていないと思われる。
バイステックのクライアント観には、人間には本来対話を通じて問題解決をしていく力を持っているという信頼感がある。その道筋に促し、自己の力で解決するように方向性を指し示すのがケースワーカーの感受性、理解力、応答力であり、それは言語にとどまらない方法で行うことも想定すべきなのだ

バイステックの著書は、これだけにとどまらない奥深い内容がまだまだ沢山ある。正しい訳本が出ることを願ってやまない。

では、知的障害者は?である。”purposeful expression of feelings”の原則から考えると、知的なハンディにより言語化の能力や言語化することによってポジティブに自らを向けていく事を選択してもらう事はなかなか難しいと思われる。(特に重度知的障害)また、自分の感情を表現・理解することが難しく、そこは支援者がまさに”The controlled emotional involvement”の原則で読み解いていく、そして支援者が代わりに表現していくしかない。ここに代弁者としての支援者に対するケースワークをしていく必要性が生じてくる。これがスーパービジョンに繋がっていくのだ。
以下、次稿で考えてみたい。

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