大日本帝国憲法の改正案として日本国憲法が条文化され、衆議院・貴族院の審議議決を経て、発布施行される過程において、「社会福祉」という言葉は定められた。「GHQの押し付け憲法」として日本国憲法の改正を主張する論者は、ほとんど紹介もしないが、帝国憲法改正案委員小委員会での議論を見ると、「社会福祉」に関して極めて重要な論点が日本人自身によって決定されたかが明らかになってくる。
資料を紐解きながら解説していくと一つ一つでも長くなるので、小出しにまとめながら書いていく。
今回の結論を先に述べると
①日本国憲法第25条2項審議過程で、social security に「社会保障」という言葉をあて、社会政策や生活保障制度・社会保険制度を「社会保障」という範疇でまとめる新たな試みがなされた。
②日本国憲法第25条2項審議過程で明らかになった政府の義務としての「社会福祉、社会保障及び公衆衛生」は「健康で文化的な最低限の生活」をする権利=生存権によって根拠づけられる体裁(第1項)をとることになった。
現憲法25条は、以下のGHQ草案を出発点として検討された。
GHQ草案
Article XXIV. In all spheres of life, laws shall be designed for the promotion and extension of social welfare, and of freedom, justice and democracy.
Free, universal and compulsory education shall be established.
The exploitation of children shall be prohibited.
The public health shall be promoted.
Social security shall be provided.
Standards for working conditions, wages and hours shall be fixed.
第二十四条
有ラユル生活範囲ニ於テ法律ハ社会的福祉、自由、正義及民主主義ノ向上発展ノ為ニ立案セラルヘシ
自由、普遍的且強制的ナル教育ヲ設立スヘシ
児童ノ私利的酷使ハ之ヲ禁止スヘシ
公共衛生ヲ改善スヘシ
社会的安寧ヲ計ルヘシ
労働条件、賃銀及勤務時間ノ規準ヲ定ムヘシ
ここで初めて”social welfare”が登場してくるが、一つの条文で盛りだくさんの内容が詰め込まれすぎていると言ってもいい内容だ。
帝国政府は、GHQ草案第24条を意訳し、分割して章立てた。”social welfare”に関係する条項は、政府案第23条のように整理された。
帝国憲法改正案
第二十三条 法律は、すべての生活部面について、社会の福祉、生活の保障及び公衆衛生の向上及び増進のために立案されなければならない。
第二十四条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。すべて国民は、その保護する児童に初等教育を受けさせる義務を負ふ。初等教育は、これを無償とする。
第二十五条 すべて国民は、勤労の権利を有する。
賃金、就業時間その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。児童は、これを酷使してはならない。
この改変について、7月29日の小委員会で政府の意図が質されることとなった。
北昤吉委員(日本自由党)
一寸法制局の當局にお伺いしますが、23条は枢密院で修正したのですか。修正する前に政府が修正して出したのですか。初めの案文によりますと、「法律は、すべての生活分野について、社会の福祉及び安寧並びに公衆衛生の向上及び増進のために立案されなければならない。」と云ふことで、個人の権利よりも個人の福祉問題よりも「ソーシャル・ウエルフェア」の問題で、公衆衛生の問題を綜合的に取り扱たように思えるのですが、所が後から修正した政府の案文に依りますれば、「社会の福祉」しかなくて、其の次は「生活の保障及び公衆衛生の向上」となって居て、社会現象が二つ出て居って、個人の生活保障と云ふのが間に一つ入って居る。どうも案文が不調和で、立法目的がはっきりせぬようですが、なぜ斯う書いて出してきたでしょうか。
○佐藤(達)政府委員
一寸御尋ねの趣旨を御確め致しますが、前の「社會の福祉及び安寧竝びに公衆衞生」とあったのを、「安寧」を何故「生活の保障」と改めたか云ふ御尋ねですか
○北(れい)委員
そうです
○佐藤(達)政府委員
是は安寧と云うのは、横文字の方は「ソーシャル・セキュリーティ」云う言葉が之に当たるだろうと思いますが、安寧と云う言葉は如何にも警察的の色彩が強くて、日本語で「ソーシャル・セキュリーティ」に当たる言葉としては適切ではないのではないか。是はやはり「生活の保障」と云うのが、事柄としても文字としても一致するのではないか云うことで改めたのでありまして、そこまでのことをお答え申し上げますが、それに付いて何かお尋ねがありますれば・・・
○北(れい)委員
社会的福祉と公衆衛生と、公衆の問題を二つ取って、生活の保障と云う各個人の事をその間に一つだけ入れた、是は別々に二つの条文にすれば、社会党の諸君の提案(筆者注 生存権規定の挿入)も23条に入れられる途もあるのですが、どうして此の所で一緒に入れたのであるか、社会的の福祉の問題と、各個人の生活保障と、別に矛盾する訳ではないですが・・・
○芦田委員長
是はこういうことでしょう。「アメリカ」流に言えば、「ソーシャル・セキュリーティ」と云うことを一つの制度としてやっている。それを日本では社会保障と訳して居るのです。所が社会保障ではどうも分かりにくいと云うので、煎じ詰めれば生活の保障と斯う入れられたのであって、是は私自身の翻訳であるが、私が翻訳すれば、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進と、斯うやった思うのです。所が社会保障と云う言葉が餘り日本で使われていないので、そう書いたのでは分からない云う風な處もあったらと思うのです。けれども帰する所、社会保障制度即ち生活の保障である、所が意味を書いたから、北君の言われるように間に保障が入ることになる。だから社会保障と云う字が日本で普通に能く分かると云うならば、是は、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上と云う風に直すことが法文として形をなすと思うのです。
ここで、social security の核心は生活保障にあるが、「生活の保障」と訳すより、「社会保障」とすることが提起され、以下の議論でその幅は、社会保険制度や社会政策までを含む現代に通じるものとして意味が確定されていく。
興味深いのは、「警察的」なるものへの忌避意識である。戦前警察は、衛生行政、建築行政、労働監督行政等広範な分野で国民生活を統制していたと同時にその取り締まりが上からの形式的な取り締まりの弊害もあり警察の権限削減、民主化が反映した議論とも言える。
〇佐藤(達)政府委員
御話の通りの趣旨であります。寧ろ個人を抑えたような形になって居りますけれども、結局是で社会生活の確保が出来ると云うことは御話の通りであります。
〇北昤吉委員(日本自由党)
社会保障と言うと、失業保険とか、養老保険とか、凡ゆる施設に依って個人の生活を保障する諸制度のことでしょうね。
(芦田委員長の「アメリカ」式の社会保障制度の説明の後)
そうした方が私等から考えると分かり易いのです。個人の色々な生活の保障は別な条で規定すれば私は分かると思うが、公衆衛生は、D・Ð・Tを撒くなんかも公衆衛生のほうですからね。
○芦田委員長
森戸君どうですか、あなたの方の御提案、わざわざ社会保障と云ふもの居るのだから、生活の保障と云ふものは、若しぞう云ふのが分り宜いと云ふのならそれでも宜いが、趣意は私はそう云ふのだと思ふ、「ソーシャル・ウエルフェア・エンド・セキューリティ」と書いたのは……
○森戸委員
所が是は、必ずしも一人々々のノ個人が健康にして文化的な最小限度の生活をなすべき権利を有する、そう云ふ権利を保障せれる制度を更に持つと云ふことは違ふと思ふのです、それに副うて居りますけれど、寧ろさう云ふ原理があつて、それを実現する為には斯う云ふやうな施設が建てられなければならぬ、基本的にはそう云ふものが前提となつて、日本の国民は国民として此処で述べる労働の権利義務があるとと同時に、生活に対する最小限度の権利を有することがはっきり出る云ふことが、今日憲法を作る場合には特に必要ではないかと私は思ひます、さうしてさういう云ふ前提の下にそれを具現する為の後の社会施設、社会の福祉増進、或は社会生活の保障、或は公衆衛生と云ふものが出来なければならぬ、斯う云ふようなことになるのです
実際、森戸委員の政府が「具現する為の後の社会施設、社会の福祉増進、或は社会生活の保障、或は公衆衛生」は個人の「健康にして文化的な最小限度の生活をなすべき権利」によって根拠づけられなければならないという構想は、同日の芦田委員長の発言でも補強される。
芦田委員長
23条の英文を読んで見ると、日本文の書き方は「法律は」と一番先に書いて何だけれど、全体を読んで見ると、社会の福祉、生活の保障及び公衆衛生、こういうことは全て法律でやるんだぞと云う意味を書いてあるんだと思うね。それでなければ若し立法の精神を言うつもりなら、国民の権利義務なんぞにいれるのではなくて、立法府のところに入れるか、何處か法律の所に入れるべきであって、茲に能々23条というものを設けてあるのは、是は国民の権利を規定して居る、国民の権利であるならば、今森戸君(筆者註:日本社会党)説明のように、法律を作る時規定にはこう考えろと云うことではなくて、やはり23条は国民の一つの権利ですよ。それだからどうしても社会保障と云うものが、ある意味に於いて国民の権利として要求できるんだと云うことでなければ、どうも茲に入る訳がないと私は思う。
細かいことに気づく方はお気づきだと思うが、social welfare は発言者によって「社会福祉」「社会の福祉」「社会的の福祉」と用語として統一感がない。
森戸委員の発言で、生存権を保証する仕組みとしての社会施設が構想されているが、これは社会事業として行われていた様々な施設を基本的な人権から根拠づける発言であって、社会(の)福祉の内容は明らかにされないままだった。