言葉の定義は、そもそもその言葉がどのように使われてきたか、歴史や語源を調べることが基本だ。

社会福祉に携わる者なら、必ず今から76年前に制定された日本国憲法第25条1の「健康で文化的な最低限の生活」を営む権利をすべての国民は有しており、最近では憲法第13条の「幸福追求権の尊重」によっても「社会福祉」は根拠づけられるのが「常識」だ。今でこそ「福祉」という言葉は重要な政治課題になっているが、そもそも明治・大正時代にはどんな意味で用いられていたのだろうか?

この場合、3つの観点で考える必要があると思われる。
①当時、「社会福祉」という日本語は存在したのか又その意味はどのようなものだったか。
②今でこそ、「社会福祉」= social welfareと訳されるが、当時これら英単語はどのように翻訳されていたのか。
③仮に、戦前「社会福祉」という言葉が存在したり、使用されていたとして、その用語は誰がどのように使用していたのか。

①・②に関連して、「社会福祉」の用例を丹念に研究した著作として、「『社会福祉』の成立‐解釈の変遷と定着過程‐」(百瀬孝著 ミネルバ出版 2002年)が詳しい。

①について

明治41年発刊 大正10年改訂 大日本辞典『言泉』(落合直文著・芳賀矢一改修)は戦前の日用語を網羅しているので、「福祉」という言葉がどのような言葉として戦前日本で理解されていたか垣間見ることができる。(ちなみに「社会福祉」という言葉は掲載されていない。)

ふく‐し 福祉(名)ふくち(福祉)の誤読
ふく‐ち 福祉(名)天地神明より授かるさいはい、福祥。

と記載されている。
百瀬氏の著作でも「福祉」という言葉は、戦前日本においては「神から授けられた幸せ」というニュアンスが強いことが示唆されている。

これを見ると、当時、「福祉」は読み仮名も統一されておらず、漢籍に通じる人たちは使うが、余りポピュラーな言葉ではなかったと思われる。

②について
大正14年に発刊されている井上英和辞典(井上千吉著 国立図書館デジタルコレクションで閲覧可能)では、
welfare 安寧,平安,繁栄,無事,安泰,安康 といった訳があてられている。

百瀬氏の著作では、welfareを「幸福」と訳す事例として、大日本帝国憲法の公定英訳(明治22年06月28日)において、第9条の一節 「臣民ノ幸福」を「the welfare of subjects」と訳している事例を引いている。
welfareの訳に「幸福」をあてるのは、時の政府ぐらいで、一般的な用語ではなかったと言えるだろう。

③について
戦前の著名な社会事業家であり、宗教大学教授であった矢吹慶輝が大正時代に「社会事業概説」という講述録(財団法人 協調會蔵版)にて、第1章「社会事業の名称とその新局面」にて以下のように解説している。③の問いに対応する同時代の証言として貴重なものである。

「古代に於ける社会事業即ち慈善は人類社会と同じ古さ有つてゐる程古いものであるにも拘らず、社会事業といふ名称は二十世紀になって初めて用いられるゝようになったのである。」

「20世紀になって社会事業という名称が使はれる迄は慈善事業といひ、博愛事業といひ、又感化事業といひ社会改良事業等といった、養育院も孤児院も養老院も施療病院も施薬所も亦保隣相扶も以前からあった。…之に社会事業と称する集合名詞を以てしたのはことは會てなかったことである。…言うまでもなく社会事業は英語の(Social Work)の訳語である。」

さて今日でも社会福趾(原文のまま)或は福利事業(Social Welfare Work)或は社会奉仕(Social Service)等という名称も使はれるが慈善といふ言葉は上から下にといふ意味が自ずと含まれるし、奉仕といふのも動すれば同様の連想を伴うし、全体社会福利事業といふも呶々(くどくど)しいし、要するに社会事業といふ言葉は比較的支障なく、殊に階級区別の意味を持たざる言葉である為今日社会事業は未だ定まった定義のないにも拘わらず此語が一般に用ひらるゝようになつたものである。

これを見る限り、社会事業関係者の中では、「社会福祉」がSocial Workの訳語候補として検討された時期もあったが、当時の日本の社会主義・共産主義を恐れる思想情勢を鑑みて、階級闘争を想起させにくい「社会事業」が選択された訳だ。

以上を踏まえるならば、「社会福祉」という言葉は、あえて言うなら「社会事業」と同義の時期もあったが、それは一時的なもので、戦前は積極的にその意味を確立することはなかった。


それが、どのような過程で日本国憲法に盛り込まれたのか。それは、日本国憲法の審議過程の事実を確認しなければならない。

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