前回の投稿の最後に書いたが、昭和8年3月18日第18回少年教護法案委員会において修正可決・希望条項を追加された児童虐待防止法は同月20日貴族院本会議に送付された。21日に貴族院にて内務大臣が病欠の為代理で斎藤隆夫政府委員から法案説明があり、児童虐待防止法案特別委員が選出され、児童虐待防止法案特別委員会が設置された。衆議院では少年教護法案委員会での審議であり、本来の目的である少年教護法案の審議の時間を割き行われたが、貴族院では児童虐待防止法のみでの委員会であり、成立に向けての並々ならぬ政府側・貴族院側の姿勢も伺える。
しかし、前回の投稿で示したが、貴族院での審議経過は以下の通り実質2回というスピード審議であった。その理由は、会期末ギリギリでの審議入りということが議事録から伺える。(議事録7)それと共に、貴族院側は衆議院での修正に対して、決して快く思っていないことも審議の難航を予想させた。(議事録6 以下解説)
5.第64回帝国議会 貴族院 本会議 第27号 昭和8年3月20日
6.第64回帝国議会 貴族院 児童虐待防止法案特別委員会 第1号 昭和8年3月22日
7.第64回帝国議会 貴族院 児童虐待防止法案特別委員会 第2号 昭和8年3月23日
8.第64回帝国議会 貴族院 本会議 第30号 昭和8年3月24日
斎藤隆夫政府委員は審議入りの際、次のように衆議院での審議を概括し、貴族院での審議協力を要請した。
尚ほ本法案に付きまして衆議院に於きまして一部修正せられたのであります、即ち政府原案第七條の規定に關する修正であります、その要旨は政府原案第七條の規定は、輕業、曲馬等兒童の心身の發達に著しき障碍を與ふる如きものに、兒童を用ふることを絶對に禁止するものでござましたが、衆議院に於きましては之を多少緩和いたしまして、政府原案の第八條の規定の如く地方長官に於て兒童の虐待に渉り又は之を誘發する虞ある業務及行為として必要ある場合には、兒童の使用を禁止制限し得ることとせられたのであります、右の修正は其根本に於きましては政府立案の趣旨と著しく異ることはないのであります、のみならず現下社會の實情に鑑みまして、本法案は實施するの必要あると考えましたので、政府と致しましても之に同意を表した次第であります、繰り返し申しまするが、實に風教道徳の根柢に關する問題でございまするし、社會文化の核心に觸るる所以でございまして、苟も等閑に付することを許さない所であります、何卒御審議の上速に御協賛を與へられむことを切望いたします
大日本帝国憲法において、議会制度は二院制を採用してきた。
伊藤博文が著した「憲法義解」(岩波文庫版)では、次のように解説している。
第三十三條
帝國議會ハ貴族院衆議院ノ兩院ヲ以テ成立ス
貴族院は貴紳を集め衆議院は庶民に選ぶ。兩院合同して一の帝國議會を成立し、以て全國の公議を代表す。故に兩院は或る特例を除く外平等の権力を有ち、一院獨り立法の事を參賛すること能わず。以て謀議周匝(しゅうそう:すみずみまでゆきわたること)にして輿諭の公平を得ることを期せむとす。
…而して勢力を一院に集め、一時感情の反射と一方の偏向と任じて互相(たがひに)牽制其の平衡を辞する者なからしめば、孰(た)れか其の傾流奔注の勢容易に範防を踰越し、一變して多數厭制となり、再變して横議亂政とならざることを保證する者あらむ乎。…故に代議の制もうけざれば已む。之を設けて二院ならざれば必ず偏重を招くこと免れず。…
議論を隅々まで行きわたらせること、また一院制を採用して、一時的な感情や偏った意見で国の進路に誤った決定がなされることを防止し世論の均衡を保つことが二院制を採用した理由である。
さらに貴族院の役割は、
第三十四條
貴族院ハ貴族院令ノ定ムル所ニ依リ皇族華族及勅任セラレタル議員ヲ以テ組織ス
貴族院議員は其の或は世襲たり或は選擧又は勅任たるに拘らず、均く上流の社會を代表する者たり。貴族院にして其の職を得るときは、政權の平衡を保ち、政黨の偏張を制し、横議の傾勢を撐(ささ)へ、、憲法の鞏固を扶け、上下調和の機關となり、國福民慶を永久に維持するに於て其の効果を収むること多き居らむとす。蓋し貴族院は以て貴冑(高貴の家すじの人)をして立法の議に參預せしめるのみに非ず、又以て國の勳勞・學識及富豪の士を集めて國民愼重練熟耐久の氣風を代表せしめ、抱合親和して大に倶に上流の一圑を成し、其の効用を全くせしめる所以なり。…
とあるように、皇族華族及勅任議員(勲功・学識経験者及高額納税者)で構成し、政権を支え、政党の偏った発達を抑え、勝手放題な議論を押しとどめ、憲法体制を支える上下調和を図る機関と位置付けられていたのである。普通選挙で選ばれた衆議院議員は国民の窮状や外交に対して迎合的で、扇動的な行動をとりやすいリスクに対して、「國民愼重練熟耐久の氣風」を持って冷静に、慎重に判断する役割を期待されていたのである。
選任された特別委員会の構成は以下の通り
委員長 金杉英五郎(勅選議員医師 東京慈恵会医科大学初代学長 耳鼻咽喉科の設立者)
副委員長 井田磐楠 (男爵 陸軍少佐 大政翼賛会常任総務)
伊藤博精 (公爵 宮内官・伊藤博邦(伊藤博文養嗣子)、たま夫妻の長男 自身も宮内官 李王職御用掛等を務める)
白川資長 (子爵 名誉掌典、神社調査会委員、神社制度調査会委員 日本精神研修会長)
三島通陽 (子爵 小説家・劇作家・演劇評論家 ボーイスカウト運動の普及に尽力した。戦後、ボーイスカウト日本連盟第4代総長に就任)
嘉納治五郎(勅選議員 講道館創設者 「柔道の父」「日本体育の父」として有名)
小坂順造 (貴族院多額納税者議員 実業家 信越化学工業及び東信電気及び長野電灯創業者)
宮坂作衛 (貴族院多額納税者議員・実業家 諏訪電気取締役・長野農工銀行取締役・上諏訪商工会議所会頭・長野県諏訪郡上諏訪町長 昭和8年10月在任中死去)
澁澤金蔵 (貴族院多額納税者議員・実業家 太田織布・新田銀行・上毛実業銀行・群馬中央銀行・太田建物・同電気館・同合同運送等諸会社重役 富士産業取締役)
当時の教養のある有産階級らしく、衆議院では答弁を求められなかった「虐待」の定義や「虐待ノ標準範圍」を質すところからから審議は始まった。(不思議なことに、衆議院ではこの点は正面切って内務省に質問はされていない。)次の丹羽政府委員の答弁において、児童虐待防止法の法律としての特殊性が垣間見れる。
丹羽政府委員は次のように答える
虐待なる言葉は既に民法にもございまするし、又社會的にも相當行はれて居る言葉でございまするが、併しながら行政処處をいたしまするが為には、出来るだけはっきりさせて置くことが必要であると存じますので…
実際、民法においては、家族法の部分で、「虐待」と言う言葉が使用されているが、あくまで夫婦の離婚理由(813条・866条)や家督相続の欠格条項(975条・998条)の中に抽象的な用語で頻出するにすぎず、子供の保護については、親権の濫用・不行跡の場合について親権の剥奪(896条・898条)が請求できる一方、直系血族及び兄弟姉妹の相互の扶養義務(954・955・956条)で解決することが基本とされていた。従って、被虐待児の保護の主体は、直系血族及び兄弟姉妹という私的な家族間での問題であった。ここに行政処分として公権力が介入しするという今では当たり前ではあるが、当時の法体系からは考えられない事であった点が、児童虐待防止法の特殊性であり、それ故慎重にも慎重に介入を行う旨を表明していたと言える。
そして、
児童虐待防止法 第二條
兒童ヲ保護スベキ責任ノアル者兒童ヲ虐待シ叉ハ著シク其ノ監護ヲ怠リ因テ刑罰法令ニ觸ルル虞アル場合ニ於テハ地方長官ハ左ノ處分ヲ為スコトヲ得
を引用し、
虐待を致してそうして刑罰法令に觸れ、…(具体例として、暴行・監禁・遺棄・傷害を例示。 但し今回は、遺棄が新たに追加され、姦淫強制は削除されている)各種の刑罰を以て禁止致して居りまする各種の規定に觸れるような程度に参って來たと云ふ場合
これを虐待と取り扱うと明言した。
この答弁を踏まえて、三島子爵は、政府のこの定義では、自分は人道上そうは思わないが、衆議院で提出した政府原案にあった「不具畸形兒」を見世物にしたり、子供に「乞食」させたりする行為は、虐待に当たらないのではないかと疑問を呈した。それに対して、内務省は禁止業務については内務大臣が定めるという実を勝ち取ったことを繰り返し説明した。
ここからは、延々と衆議院での修正について手厳しい批判が行われている。貧困等の事情もあると容認した軽業・曲馬・見世物の禁止を法律そのものから削除させたのは、衆議院の「功利主義」(井田男爵・三島子爵)であるという批判がそれだ。丹羽政府委員は引き続き第8条の統合でも、実質的な規制が行えると繰り返し説明を行った。
貴族院の議論の中で、衆議院では詳しく審議されなかった注目すべき論点が2つある。
第1に、被虐待児を把握する体制についてである。関連する条文や丹羽政府委員の発言を挙げる。
①児童虐待防止法第9條
地方長官ハ第ニ條叉ハ第三條ノ規定(15歳までノ延長措置)ニ依ル處分ヲ為ジ叉ハ前項第一項(第八條に禁止された主務大臣ガ」定めた業務および行為)ニ依ル禁止若ハ制限ヲ爲ス爲必要アリト認ムルトキハ當該官吏又吏員ヲシテ兒童ノ住所若くは居所兒童ノ從事スル場所ニ立入リ必要ナル調査ヲ爲サシムルコトヲ得此ノ場合ニ於テハ證票ヲ携帯セシムルベシ
と地方長官が虐待認定やそれに伴う行政処分を行う際に、立入・調査権を持つ「官吏又吏員」(今でいう公務員)を派遣し、立ち入り調査等を行わせることができる。その際、「証票」(身分証明書・令状)を必ず携帯させることを明記している。
②宮坂議員への丹羽政府委員答弁
此法案を施行いたしますに付きましては、御話の如く官吏吏員ばかりでは十分でないかと思って居ります、差當り方面委員と云うのが全國に御承知の通りでございまするから、是等方面委員はご承知の通り、色々社會の裏面を見て、そうして此世話をする人達でごまますから、さう云う人達の中から最も此兒童の保護に適當なやうな人を選びまして、此法案の施行につきましては協力をして貰ふと云うことに致したいと思って居ります。尚又ご参考までに申し上げますると、此法案が成立する日を待って居りまして、此法案の
出來た機會に一つ民閒團體を作って、虐待防止の後援と云ひますか、事實上の働きを援助して行うと云ふような非常に熱心なる有志の方の意見が段々纏りつつあるように伺って居るのであります。
…方面委員其他の民間の團體の人は權力なしで、本當の斯の如き不幸なる子供を何とか仕合せにしなければならないと云ふ溫い心持で、そう云う事實を發見して申出て貰ふと云うやうな方面に、事實働きをして貰うと云ふ方を重きに考えて居ります
…収容した者を歸す時には、餘程注意を加へないと中々困難ではないか、…それ等の家庭につきましても、其後も方面委員等の活動に依りまして観察を致して見たい、此方面委員はそう云うような暗黒面、裏面の家庭に時々訪問いたしまして、そうして實情を究めて居ると云ふようなことが、先ず任務として居るような人達でありまするから、其點は困難ながら餘程やって行けるのではないかと考えて居ります…
被虐待児の発見及び収容保護終了後の観察期間について、地域の裏の裏まで目が届く方面委員を中心に、民間団体を地域に設けて対応するシステム作りはすでに検討されていた。
第2に、費用負担から透けて見える責任主体の問題である。
前回の投稿で、児童虐待防止法では
保護処分に係る費用については、「本人又ハ其ノ扶養義務者」の負担とするが、道府県が一時立て替えをし、弁償されない場合は道府県で負担し、その半分は国庫から補助するとした。(法第4・5・6条)
と述べた。
この規定について、井田男爵はもっともな疑問を呈した。
此幼童が虐待された、其幼童が此費用の負擔の義務を負ふと云ふことは、幼童と云う點に於て、既に費用負擔と云うことはちょっと考えられないことでもあるし、又虐待された其子供が費用の負擔と云ふより、私は寧ろそれは其但書にもあります所の扶養の義務を履行すべきものと云ふ、此親権者と申しますか、そう云った者が一番最初に是は負擔の義務を負ふようにおもうのでありますが、其點は如何なものでありますか
丹羽政府委員は次のように答弁した。
虐待を受ける子供は必ずしも貧乏人の子と云ふばかりでなく、偶には本人が財産を有っている場合もありまするので、幼年でありますけれどもそれが財産を有った場合には、そこからも取り得る、収容した費用を取得る、斯う云ふことに致したのであります
とあくまで扶養義務者に財産がない場合で本人が財産を持っていた場合徴収できる可能性を保障したとの答弁を受けて、井田男爵は児童保護のための一日負担額を内務省案では30銭としている点を上乗せを検討してほしいと要請する論議に移行したので、この論点は解決したと思われる。
しかし、丹羽政府委員の答弁は振り返ると、二つの点が重要だ。一つは、内務省自体が児童虐待の問題を必ずしも貧困に固有の問題と考えておらず、日本社会に普遍的な、人道的な問題であるという認識をしていたことである。この点は、上流階級で構成されている貴族院の議員にも響く点があったのではないだろうか。もう一つは、被虐待児の養育コストを誰が負担すべきなのかという根本的な問題だ。専門家の教示を待ちたいが、恐らく、被虐待児の収容保護費用は、全額養育責任のある親権者や保護者が本来は負担すべきであり、それができない場合にのみ(親権者や保護者がいない、保護責任が果たせない等)道府県が道府県予算で対応する。その際の予算について、半額国費が補助をするという考え方をしていたと考えてよいのではないだろうか。衆議院でもこの点については批判がないので、受益者負担主義というか養育者・家族が第一義的に責任を負う思想が当時の政治家・政府の共通認識だったと思われる。(最終的な費用負担責任が、養育者・家族にあることを明示することで、虐待の抑制効果を狙っていたのかもしれないが、その点は専門家の教示を待ちたい)
貴族院としては、衆議院修正については、人道的な見地から納得できない空気が継続していたが、会期終了期日は迫っていた。ここで、貴族院が修正案を拒否した場合、帝国憲法39条(兩議院ノ一ニ於テ否決シタル法律案ハ同會期中に於テ再ヒ提出スルコトヲ得ス)の規定により廃案になることが想定された。
その為、小坂議員は、本法の成立をまず優先するための妥協策を提案した。
本委員會の意嚮としては實際は原案に復活したいのでありますけれども、既に會期切迫の時であって、兩院協議會等の爲に或は不成立に至る虞がありますから、巳むを得ず此修正案に同意することとして、此委員會の趣旨を明らかにする爲、附帯決議をして戴いたらどうかと思うのであります
附帯決議の内容は以下の通り
貴族院附帯決議
政府ハ本法ノ實施ニ當リ左ニ掲クル行為ノ如キハ最モ兒童ノ心身發達ニ惡影響ヲ及ホスモノニナルカ故ニ必ズ之ヲ禁止シ以テ本法ノ精神ヲイ明ラカニセラレタシ
一 不具畸形ノ兒童ヲ観覧ニ供スルコト
ニ 兒童ヲシテ乞食ヲ為サシメ又ハ兒童ヲ用ヒテ乞食ヲ為スコト
三 輕業、曲馬其ノ他之二類スル危險ナル業務ニ兒童ヲ用フルコト
この附帯決議方式は全員の賛同を得て、児童虐待防止法は可決することとなった。これにより、修正第7条の部分に、もともとの政府原案通りの制限をかけるよう圧力がかかることとなった。
こうして、児童虐待防止法は、昭和8年3月24日貴族院本会議にて可決された。(ちなみに、その時の議事を取り仕切ったのが、近衛文麿公爵である)
内務省・衆議院・貴族院のそれぞれの思惑・妥協点の中で、ついに我が国初の児童虐待防止法は可決された。次の投稿で、この虐待防止システムを整理し、その効果や意義についてまとめてみようと思う。