戦前の児童虐待防止法が成立した時代背景について前回述べたが、今回は実際の審議経過を概観していきたいと思う。
「帝国議会会議録検索システム」(https://teikokugikai-Ⅰ.ndl.go.jp)で児童虐待防止法を検索すると、以下の議事録が検索される。
1.第64回帝国議会 衆議院 本会議 第25号 昭和8年3月11日
2.第64回帝国議会 衆議院 少年教護法案委員会 第16号 昭和8年3月13日
3.第64回帝国議会 衆議院 少年教護法案委員会 第17号 昭和8年3月14日
4.第64回帝国議会 衆議院 少年教護法案委員会 第18号 昭和8年3月18日
5.第64回帝国議会 貴族院 本会議 第27号 昭和8年3月20日
6.第64回帝国議会 貴族院 児童虐待防止法案特別委員会 第1号 昭和8年3月22日
7.第64回帝国議会 貴族院 児童虐待防止法案特別委員会 第2号 昭和8年3月23日
8.第64回帝国議会 貴族院 本会議 第30号 昭和8年3月24日
議事録を読み解いていくことで、戦前の児童虐待防止システムがどのような考えで、どのように構築されたのかを明らかにしておきたい。(発言者の発言のカタカナ表記は平仮名に戻しています)
今回は先ず衆議院における審議を概観する。
昭和8年3月11日 第64回帝国議会 衆議院本会議に、政府提出の児童虐待防止法案が山本達雄内務大臣(男爵)から提出され、趣旨説明を行い、審議は始まった。趣旨説明の発言は以下の通り
現時我國の實状を見まするに、兒童に對する各種の虐待の事實は、往々社會の耳目を聳動せしめつヽあるのでございまするが、それと共に兒童の心身發達上に、甚しき弊害を伴ふ處がある特殊業務に兒童を使用する事實も亦少なくないのであります、而して是等の事實は何れも兒童の健康を損ひ、性能の發達を沮むは勿論、國家の将來に償い難き損失を與へつヽあることは、洵に想像に餘りあるところであります、殊に近時財界の不況に伴ひまして、兒童に對する各種の虐遇は一層增加し、其性質も亦著しく過酷を加ふるの傾向に向ひつヽあるのであります、然るに從來是等の虐待行為の豫防又は救濟に關しましては、民法、刑罰法令などの中に若干の制裁規定を存するに止まり、虐待の積極的防止、及び發見せられたる被虐兒童の保護救濟に關しましては、何等方法の定まるものなき状態であったのであります
と、児童虐待をめぐる当時の社会情勢と提案理由を述べた上で、児童虐待防止法の概略を以下のように説明した。
第1点は、児童を保護すべき責任ある者が、「兒童ヲ虐待」又は「著シク其監護ヲ怠リタル場合」、地方長官(都道府県知事)が、児童を保護すべき責任ある者に対して、訓戒する又は条件付き監護を許可し、必要な場合、児童の保護教育への配慮を行うために、親権者又は後見人に引き渡すか、私人の家庭又は施設に委託できると、地方長官の権限を明確にした。
第2点は、「不具畸形ノ兒童」を見世物にしたり、児童に乞食をさせたり、児童を使って乞食を行う、「輕業、曲馬等危険ナ業務」を児童に行わせることを厳罰をもって禁止する。
第3点は、第2点に例示された業務も含み、「兒童ノ虐待ニ渉リ、又ハ之ヲ誘發スル處アル業務」に対して地方長官が児童の使用を禁止叉は制限をして、児童虐待を未然に防止することとした。
第4点は、保護処分に係る費用については、「本人又ハ其ノ扶養義務者」の負担とするが、道府県が一時立て替えをし、弁償されない場合は道府県で負担し、その半分は国庫から補助するとした。
(議事録1 参照)
「板橋岩の坂貰い子殺し事件」に代表されるように貧困地域と見なされる地域で、金を受け取り子供を引き取り、殺害する行為が常習的に行われていたことが次々と新聞で煽情的に扱われることもあり、そこに不況下で、児童の困窮や過酷な児童労働(曲馬、軽業 見世物等)がクローズアップされ、児童虐待防止の世論が盛り上がる中、内務省は児童虐待防止法を帝国議会に提案したのであった。
審議は、2日後の3月13日 衆議院少年教護法案委員会での質疑から開始され、13・14日に荒川五郎・山桝儀重議員を中心とした集中的な質疑応答が行われ(議事録2、3)、18日に中野勇治郎議員(理事)による修正提案を踏まえて、修正されて可決された(議事録4)。主な論点は、2つあった。
論点1 第7条の是非ついて
もっとも時間を割いて議論されたのが、「不具畸形ノ兒童」を見世物にしたり、児童に乞食をさせたり、児童を使って乞食を行う、「輕業、曲馬等危険ナ業務」を児童に行わせることを厳罰をもって禁止するとした第7条の是非であった。
第7条は、以下のような行為を厳禁とする規定である。
児童虐待防止法 第七條
何人ト雖モ左ノ各號ニ掲グル行為ヲ為ス事ヲ得ズ
一 不具畸形ノ兒童ヲ観覧ニ供スルコト
ニ 兒童ヲシテ乞食ヲ為サシメ又ハ兒童ヲ用ヒテ乞食ヲ為スコト
三 輕業、曲馬其ノ他之二類スル危險ナル業務ニシテ主務大臣ノ定ムルモノニ兒童ヲ用フルコト
少年教護法制定を主導した荒川議員は、内務省社会局長 丹羽政府委員に対して、第7条を次のように批判を展開した。
…十四歳以下の者には總てそう云う危險的な業を止めると云うことでなしに、其點は其處に虐待があったと云ふ、其虐待の事實のみを此目標に置くような意味合に、此處は私はして貰いたい…私は此曲馬曲藝と云ふものは、是は一つの世の中の事業とであると思ふ、極めて良い物である、之を十四歳以下の者を止めては無いものになってしまふ、無ぐするには及ばぬであると云ふ點から左様に申す、天下の森羅萬象何一つとして無用な物はない…
荒川議員の主張は、その後の議事録を読んでいただけば、分かるが、曲馬曲芸、「不具畸形ノ兒童」の見世物も、児童や家族が生き抜いていく為のやむにやまれぬ手段や家業である場合があるので、一律法律で禁止することはするべきではないと政府に修正を迫るものであった。
荒川議員の質問はさらに根本的な問題を追及する。
今や私は優性に關する法制が出るべき時期だと思ふ、随て此法律を作る前に、此優性學の立場に立って、斯う云ふ者の生まれぬ方法を講ずる必要があると思ふ、生まれることを認め置て、生れた者が食うことが出來ないように、それを止めると云うことは、是は一部の者が兒童を憐れむと云う一點はあるけれども、更に其裏面に於いて大なる問題が横って居ると思いますが、如何でありますか
内務省社会局長 丹羽政府委員の返答は、優生学的な制度の立ち上げの必要性は認めつつも、所管ではないと回答を控えるにとどまったが、生活費を稼ぐために見世物にする方策ではなくて、救護法での救済手段が可能との見解を示した。丹羽委員の回答を踏まえて、荒川伊議員は、第7条の対象となる児童やその家庭の問題は、背後にある児童・家庭の貧困に起因するものであり、救護法での救済を優先すべきであるという論点に発展し、第7条不要論を主張した。
荒川議員の質問は、翌日14日委員会でも、法律の名称そのものに対しても向けられた。
此種法律も子供愛護の精神は大いに善いのではありますが、此名称を兒童保護法とか何とか云ふような意味で、愛の精神から立脚して、法の心持を善意に現はすことが、一般世間をして道徳的同情的に導くにも大切だと思ひます、然るに日本は子供の國であるのに、何だか亂暴な國だから止むなく法律を以て防止せねばならぬと云うように聞える名は、人聞きも宜しくないと思う、外に名は幾らでもあろうと思ひますが如何でしょうか
として文部省にも確認を求めたが、出席していた東郷文部政務次官は、文部省は文部大臣も閣議において同意しているので問題なしとした。荒川議員は、更に政府・文部省に、子供全般の入学準備をはじめとした過大な勉学量等は児童虐待に当たるのではないかと質問し、曲馬曲芸、「不具畸形ノ兒童」見世物よりももっと大きい深刻な問題(虐待)を放置していると主張した。荒川議員の真意は、議事録を読み込んでも測りかねるのであるが、おそらく荒川議員は子供の困窮や現状全般について深い同情心や憤りを持っており、それ故に政府の姿勢を法律制定といった小手先で解決しようとすると見えたので、厳しい批判をむけたのでははないかと思われる。(専門家の方にご教授していただければありがたい)
こうした論議の末、第7条は削除され、第8条が第7条を組み込む形で統合改変された。
(原案)
第8条
地方長官ハ戸戸ニ就キ又ハ道路ニ於テ諸藝ノ演出若ハ物品ヲ販賣スル業務其ノ他ノ業務ニシテ兒童ノ虐待ニ渉リ又ハ之ヲ誘發スル虞アルモノニ付必要アリト認ムルトキハ兒童ヲ用イルコトヲ禁止シ又ハ制限スルコト得
前項ノ業務ノ種類ハ主務大臣之ヲ定ム
(修正後)
第7条
地方長官ハ軽業、曲馬又ハ戸戸ニ就キ又ハ道路ニ於テ諸藝ノ演出若ハ物品ノ販賣其ノ他ノ業務及行為ニシテ兒童ノ虐待ニ渉リ又ハ之ヲ誘發スル虞アルモノニ付必要アリト認ムルトキハ兒童ヲ用イルコトヲ禁止シ又ハ制限スルコト得
前項ノ業務及行為ノ種類ハ主務大臣之ヲ定ム
このように改変することで、内務省からすると本来7条で厳禁しようとした業務について、「主務大臣が必要があると認める業務及び行為」という括りで禁止・制限することを実質的に勝ち取ることが出来たと思われる。議員側からは、第7条を全面削除させ、禁止制限業務の範囲を主務大臣の裁量に任せることができたことで体面が保てたとも言える。
さらに、衆議院の希望条項として以下の点も追加された。
政府ハ救護法ヲ運用シ且民間團體ヲ督勵シ以テ本法ノ目的達成ニ萬遺憾ナキヲ期セラレルコトヲ望ム
これによって、見世物によってしか金銭を稼がなければ生活できない家庭に対する救済手段を議会として示したと言える。
論点2 第2条の「刑罰法令ニ觸レ叉は觸ルヽ虞アル場合」の解釈及び訓戒手段の妥当性について
児童虐待防止法 第二條
兒童ヲ保護スベキ責任ノアル者兒童ヲ虐待シ叉ハ著シク其ノ監護ヲ怠リ因テ刑罰法令ニ觸ルル虞アル場合ニ於テハ地方長官ハ左ノ處分ヲ為スコトヲ得
として、地方長官は「兒童ヲ保護スベキ責任ノアル者」に対して
1.訓戒を行う
2.条件付きの監護
3.兒童を引き取り、他の親族や他の私人の家庭、適切な施設に委託する
ことができるとした。
これに対して、①刑罰法令は刑法に限るのか又訓戒をする場合は刑罰は緩和されるのか②訓戒には意味があるのか③「刑罰法令ニ觸レ叉ハ觸ルヽ虞アル場合」に限定せず、虐待の事実だけ確認すれば執行してもよいのではないかという批判が山枡議員や中野(勇)議員から提出された。
丹羽政府委員の回答は
①については、刑罰法令は刑法に限らない。及び、訓戒をすることと刑事罰を執行することとは別であり、緩和することはないと返答している。そして、「警察官ハ犯罪ノ事實アリトシテ捜査ニ取リ掛ル、ソレカラ社會事業關係、社會課等ノ方面ノ者ハ、之ヲ保護スルト云フ立場カラ本法ノ手続續ニ進ンデ行ク」とし、児童虐待防止法の目的は被虐待児の保護にあることを強調している。また、警察官と社会事業・社会課を統括するのが地方長官であることも強調している。
②については、「何處マデモ道徳的ニ子供ヲ取扱フコトヲ勤メタイ」「事件ガ虐待ニ渉リ或ハ刑罰法令ニ觸レル程度ノモノガアルカラト言ッテ、直チニ子供ヲ引渡シマスト云フコトハ、到底デキナイコトモアラウカラ、サウ云ウ場合ハ訓戒ヲシタラ宜カラウト云ウコトニ致シテ居ルノデアリマス」と述べているように、行政処分によって、複雑な事情を抱える家族関係に介入し、子供を引き離すことに対しては権力行使を抑制する慎重な姿勢を示してイる。
③についても、その延長線で、「行政官ガ強制シテ、子供ヲ引取ルト云フ場合ニハ、此程度ノ制限(刑罰法令ニ觸レ叉は觸ルヽ虞アル場合 具体例:暴行・傷害・監禁・姦淫強制)ガアルコトハ、最モ適當デアラウト思ヒマス…権力ヲ用ヒテ引離スト云フコトハ、此程度ノ規定ガアルコトガ至當デアラウト考エテ居リマス」と家族に対する行政権の濫用を防止するための歯止めであることを明示している。それ故に、行政処分として児童を引き取る以外は罰則規定を置かないことも述べている。
以上の答弁において、第2条の内容は政府提出案通りに衆議院で可決することとなった。
戦前は、児童虐待防止も家族制度や隣保相扶制度で解決しようとしたと否定的に説明する識者もいるが、衆議院での審議を見る限り、家長制を中心とした家族国家観や民法等で親権を強く保障していた戦前の日本において、公権力が介入し被虐待児の保護を行う道筋を示した意義は評価されるべきであると思われる。
実際、現代でも、児童虐待の防止等に関する法律(現児童虐待防止法 と今後は呼ぶこととする)(国及び地方公共団体の責務等)第4条の1において、①被虐待児の保護、自立支援②虐待を行った保護者に対する親子の再統合③家庭(家庭における養育環境と同様の養育環境及び良好な家庭的環境を含む。)で生活する を目標として掲げており、児童虐待防止法第二條が目指しているものと大きな相違はないと思われる。
以上の審議を踏まえて、昭和8年3月18日第18回少年教護法案委員会において、児童虐待防止法は修正・希望条項を追加して、可決し、同月20日貴族院本会議に送付された。21日に貴族院にて内務大臣が病欠の為代理で斎藤隆夫政府委員から法案説明があり、児童虐待防止法案特別委員が選出され、児童虐待防止法特別委員会が設置された。
貴族院での審議経過については次回に概観してみよう。