さて、シリーズ「障害者支援施設のあり方を考える」について、現在進行している「あり方検討委員会」の論議を見ながら、考えている。まだ、形にならない部分もあるが、不思議なのは、この手の議論は厚生労働省において10年おきぐらいに研究調査が行われ、検討することを試みているにもかかわらず、10年ごとに「危機」なるものがどう進行・深化したのかもよくわからず、危機はあたかも今始まったかのような感じで対策を討議するという流れが展開しているように見えて仕方がない。その点も含めて、今後精神薄弱者福祉法時代から概括していきたいと思う。
書き起こし始めるにはもうしばらく時間をいただき、小幕間として今回は、「同性介助」や性的な行動に対する支援について補足しながら、書いておきたい。
前回の投稿「コーヒーブレイク:「同性介助」を考える①」で以下のように指摘しておいた。
- 医療や保育で同性介助が柔軟性をもって運用されていることを見れば、身体的な接触を伴う職業は、専門的資格、スキル、モラルを担保にして信頼性が成り立っている。
- 今回の厚労省提案で、行政的な外形的な基準として規制をかけペナルティを与える手法に乗り出したということは、結局、生活支援員の要件に専門性やスキル、モラルを求めていない担保のなき職種という認識が根底にあることを示している。
- 外形的に生物学的性別に配慮していれば十分だという考え方は、そもそも知的障害者に知的な遅れによる性別未分化やLGBTQの可能性を認めていないことを意味している。
- 雇用データを見れば、女性職員が常勤も非常勤も多い。まして、女性の非常勤職員の多さは、明らかに未経験、訓練されていない階層がこの分野に流れ込んでいることを示しており、この比率の非対称性を見てもどれほど厚生労働省の提案は現実からかけ離れている。
- 「同性介助」を硬直的にとらえることで、LGBTQであることに悩んでいる職員や就職しようと希望しているLGBTQの人たちを支援の現場から排除する危険性がある。むしろ、それならば、教育機関や福祉系の教育カリキュラムでsex、gender、Sexual Orientationの問題を学習させるほうが、加算や減算で管理するより大切であるし、人材育成、多様性のある福祉職場を生み出す力になる。
こうして、「同性介助」原則を厚生労働省が打ち出して、2年目に入った。Looker-onとしては、様々な問題を解決議論しないままに支援現場に「原則」だけが放り出されたと思うのだが、何か考えるにあたって示唆されるものはないかを書店巡りで漁っていた。今回は、その中で見つけた本を紹介しながら、「同性介助」の問題を少し広い視点から考え直してみたい。
「自閉症と知的しょうがいのある人たちへのマスターベーションの理解と支援 親と専門職のためのガイド」(メル・ガッド著 木全和巳訳 クリエイツかもがわ 2023年 原題 Masturbation , Autism and Learning Disabilities 2021年出版 英国)がそれだ。
マスターベーションについて、以下のように定義がされている。
「性的な興奮と快楽のために自分の世紀に触れたり、刺激を与えたりすること」(本書P11)
そして、冒頭において、マスターベーションについて、本人の重要な権利とする立場が提示される。
「自閉症や自閉症と重なる知的しょうがいのある人たちには、ほんとうにたくさんの異なった理由があり、他の人たちよりも性的な関係と出会う機会や受けとめる能力がありません。特にマスターベーションは、自分で選べるのであれば、性的なよろこびと出会うただ一つの機会であるにもかかわらずです。親や専門職は、性的である知的しょうがいのある人たちの権利と、人前でマスターベーションをするなど他の人たちに影響を与えない性的ふるまいに対する責任とのバランスをとらなければなりません。マスターベーションは、誰にとっても、当事者の周囲の人たちにとっても、問題になっていますが、課題としても、支援計画としても、考慮されていません。特に一人で行うため、妊娠や性感染症の原因にならない性的な行為であるにもかかわらずです。
この本を通して、私は、権利と責任のバランスと、知的しょうがいのある人たちが、自分自身や他者たちを害することなく、自身の性を楽しむことができるように、親、ケアスタッフ、専門職がいかに支援できるのかについて、 検討するつもりです。」
Looker-onはこの立場を読んで、自分の底の浅さに恥ずかしさを感じた。性的な関係や性的な快楽を体験するというというのは、人の根源的権利であるという認識に至っていなかったのだ。
「私たちは皆、プライベートでマスターベーションをする権利があります。この権利は他の人たちに悪影響を与える場合にのみ介入されます。」
「自由と自立」の節では
「公共の場所でマスターベーションをしたり、不適切な接触をしたりなど、 社会的で法的なルールを十分に理解できず、これらを守ることができない場合には、その人の自由や社会的交流が著しく制限されることになります。
公共の場所でマスターベーションをすることは、他者にこの行為を見られている場所でしていることなので、許されません。ですから、こうした不適切なマスターベーションを認めてしまうことは、本人の自由と自立に向けた成長を著しく抑えてしまうことになります。また、多くの場合、本人や他者を危険にさらしているかどうかいつも監視していなくてはならないので、 管理者やケアスタッフの義務を大幅に増加させてしまいます。
若いときに学んだ行動や発達の中で獲得した行動は、生涯続けることができます。知的しょうがいのある人たちの多くは、大人になってからの変化に大きな抵抗感をもっています。タイムリーに不適切なマスターベーションに対応することで、知的しょうがいのある本人が私的な場所で性的なよろこびを経験することと、他者に危害を与えないようにすることが可です。 そして、不適切な性的行動をする人たちというレッテルを貼られることなく、 自由で社会的な交流を体験することもできるのです。」
そして、第1章のまとめとして
「1. 要点
マスターベーションは正常な人間の活動です。
知的しょうがいのある人たちもマスターベーションをする権利があります。
性的であるという人間の権利は他の人たちに否定的な影響を及ぼすべきではありません。
ブライベートな性的なふるまいはケアされ、尊重されなければなりません。
プライベートな場でないところでマスターベーションをすることは、人間の尊厳や自立に影響を及ぼします。」
この立場から、導き出されるのは、マスターベーション及び類似行為について、衛生的に行われているか、他の疾患はないか、衛生的に行う環境や方法を教える必要性、公共の場所においてはマスターベーションはしてはいけないことを教育すること、私的な場所で性的なよろこびを体験し。他者に危害を与えないことを教育すること等々である。
マスターベーションの利点として
快感
他の人とのセックスを遅らせる
自分のからだに責任を持ち、健康に保つ
(安全に)自分の性的体験を自分で体験できる 感覚的な体験
痛み(片頭痛・生理痛等)の緩和
睡眠の改善
前立腺の健康
(一人で行うことによる)安全なセックス
行動上の問題の軽減(性的欲求不満の解消)
マスターベーションの有害性として
公的な場所でのマスターベーションは起訴される危険性を伴う
誰かを怒らせたり、不快にさせたりする可能性がある
性器やその他のからだの部位に外傷や感染症を引き起こす可能性がある
基本的な衛生習慣を守らない(例 体液の不始末)ことによる不衛生
性的感度の低下、狭い範囲での性的刺激にしか反応しなくなる可能性がある
日常生活に支障をきたす
社会的弱者とみなされる
と詳細に述べている。
尽きるところ、「公共の場所では行わない」「プライベートな空間で安全・衛生的に行う」というルールをいかに早期(性器にタッチして何らかの刺激や快感を感じる兆候を見せ始める時)から教え、訓練していくかがマスターベーションに対する支援として重要であることを本書は説いている。
重度の知的障害者の入所施設で支援をしているスタッフなら、支援している利用者が共有スペースで自慰行為をする姿や陰部をいじっている姿を見たことがあるのではないだろうか?どう止めさせるべきか、本人の認知レベルを考えて放置するしかない?等々悩ましい課題ではないだろうか?しかし、この行為は、本書の視点を応用して考えると、この利用者が幼少の頃に家族や支援者から「公共の場所では行わない」「プライベートな空間で安全・衛生的に行う」というルールの訓練を受けて来なかった結果であると認識しなければならない。
早期教育やその代替保障としての公教育カリキュラムとして、本書では、英国で行われている「人間関係と性教育」(RSE:Relationships and Sex Education 参考リンク https://note.com/thegreencatalyst/n/neaa43d14871d )を挙げているが、その際の注意点として、カリキュラムの中で「自分の性的行為や好みについて話すのは絶対やめましょう。マスターベーションのテクニックの例は、常に距離を置いた第三者的な方法で説明してください。」として、知的障害者に対して提供される情報を列挙している。
マスターベーションをする前のプライベート空間の確保や衛生管理についての情報提供から始まり、様々な生物的形状や箇所に対する性的刺激やマスターベーションの方法についての情報提供や終了した際の衛生管理(例えば、手を洗う等)やプライベート空間の解除についての情報提供等々
*本書には、さりげなく潤滑剤、ポルノ(18歳以上のみ)、道具(性的玩具)等の使用という言葉もあり、英国の知的障害者への性的支援について、ここまでのリアルなこともある意味オープンに議論されている現状と比較して、日本の知的障害者への性的支援についての議論の現状を考えざる得なかった。
実際、本書後半で挙げている例は、リアルで考えさせられる。
公的な場所(例えば、教室)でマスターベーションをしてしまう、性器が勃起して机の下で触ってしまう場合
職場実習中、プライベートな時間にスタッフ用のトイレでマスターベーションをしたいと要求してきた場合
知的障害のある人がきょうだいと寝室を共有している場合
家庭での非性的な接触に対する性的反応(例:家族や友人に抱きしめられたりタッチをされたりした場合に、勃起してしまう等)
性的でないタッチに対する性的反応(例:パニックになった利用者を落ち着かせるためにベッドで寝かせ、撫ぜながら落ち着かせたり、マッサージをして対応してきたが、勃起することが目立ってきた)
ちなみに、後半の性的反応の問題は、異性の支援スタッフの場合に起こりやすい可能性はあるが、同性スタッフでもあり得ないことではない。未成年や未経験であればあるほど、性的反応に対する経験値も低いため、体の反応が性的に反応する場合もあり得るだろう。(そして、それはある意味初めにおいては正常な生理的反応でもある。それを介入せず繰り返されると、性的反応が強化され、本人の行動として学習されてしまうのだ)
本書では、公的な場所でのマスターベーションについては「ただし、本人ではなく本人の行為そのものに言及するようにしてください。汚い、エッチ、気持ち悪いなどの言葉は使わないようにしましょう。また、最も大切なことは、マスターベーションは正常で合法的であり、楽しいものですが、マスターベーションをするためには私的な場所でなければならないことをはっきりさせることです。」「一人でいるときやスタッフのトレーニング、スーパーバイズのセッションなどの適切な時間に、有用なフレーズやキーフレーズを言う練習をするとよいでしょう。恥ずかしがらずにはっきりと言えるようになるまで、そのフレーズを繰り返してみましょう。自信をもって明確な指示を出せるようになれば、自分も相手も恥ずかしい思いをしなくて済みます。
必要であれば、『ザイン、ペニスを触るのをやめましょう』のような基本的なフレーズから始めましょう。」
とされている。本人自身を道徳的、倫理的に非難するのではなく、行為自体を非難し、「パブリックとプライベート」について混同しないようにする教育やプライベートな空間を求めるようサインを出せる訓練をすることが解決の方向性であり、この考え方の背景に、知的障害にありがちな「学習」の問題や権利擁護の問題、行動獲得の方法等を踏まえられているのが分かると思う。
この点は、家族・きょうだいであっても同居者であっても、「パブリックとプライベート」についてきちんとしたルールをもうけることが必要なのである。
支援者や家族の非性的なタッチに対して性的な反応が見られた場合は
「・支援者が性的な意図のない接触を行い、それが性的反応を引き起こした場合、介助者はその接触を中止すべきです。
・性的反応があった後も支援者がタッチを続けた場合、そのタッチは意図的で性的なものと受け取られる可能性があります。
・介助者はすぐにタッチを中止してください。タッチをやめた理由を、本人に説明すべきです。
・触れ合いの代替案が検討され、触れ合いが変更された理由が、その人のケア計画または性的行動ケア計画に書き込まれるべきです。
・思春期の若者が身体的な接触によって性的に興奮しはじめるのはよくあることです。これは人間の正常な反応です。」
とされている。
また、次のようにも記載されている。
「・必要であれば、はっきりとした手の動きやシンボルを伴った、強く厳しい声を使ってください。
・ショックを受け、感心していない様子を見せましょう。ユーモアを交えたり、笑い飛ばしたりしてはいけません。
・明確な指示を出しましょう。」
例として
「デウィ、ペニスを触るのをやめなさい。私がハグしているときに、自分の女性器やペニスを触ってはいけません。それは自分だけのプライベートな場所において自分一人でしてください!」
と行為について、あいまいにユーモアを交えたり、笑い飛ばしたりして茶化して非難するのではなく、ショックを受け、感心していない様子を見せて、強く厳しい口調で注意指示することが必要なことを示唆している。
これらのリアルな対応は、我が国では一般的に議論されているものでないし、その妥当性については研究者や識者、政府等様々なレベルで議論されるべきであろうと思う。ただ、英国の本書に貫く考えに一つに、マスターベーション等性的行為やオーガニズムを得ることは知的障害者の権利であること、正常な人間の反応であること、その権利を保障していくためにパブリックとプライベートの空間の区別衛生管理を保障していくという思想があること見て取れるし、その点は日本でも踏まえられなければならない重要な視点と思われる。
さらに本書では、「性的玩具・フェチ的アイテム・ポルノグラフィ・SNS利用・セックスワーカー」という章まで設けて、知的障害者・発達障害者を取り巻く性的環境についても具体的な議論を行っている。内容については、またその当否については本書や読者に譲るとして、少なくともこうした問題を正面切って議論しようとする姿勢は我が国では欠いているように思われる。
以前の強度行動障害支援の投稿で、暴れて寝そべり頭を打ちつけている知的障害者の女性を男性スタッフが馬乗りになり頭等をマッサージしながら鎮静させている場面を同性介助に反し、性的誤学習を植え付けるのではないかとした論調を紹介したが、その論者は同性介助原則から批判して、ではどうするのかという点は提言されていなかった(すくなくともそのような文章にLooker-onはとらえた)この問題も、「性的でないタッチに対する性的反応」を引き起こすかもしれないリスクの問題として本来は検討されなければならない。同性介助原則が陥りがちな建前論ではなく、性的存在でもある知的障害者のリアルな権理論及び仕組みの構築が求められているのではないだろうか?
*本書については、紹介しきれていないキーワードがあり、読者から情報や意見をいただきたい。
紹介しきれていないものとしては、「性的行動ケア計画」という支援計画である。本書では末尾に計画例が掲載されている。
また、個人的なケアを行っていて、タッチに対する性的反応に気づいた場合は、「インティメート・ケア・ポリシー」を参照することと本書では欠かれている。
インティメート・ケア(intimate care):デリケートな性器のケア
インティメート・ケア・ポリシーとは、従ってデリケートな性器のこうした反応に対する適切な対応の原則とでもいうべきものなのでが、少なくともLooker-onの検索では我が国でこの点を明確にしたものはなかった。ご教授願えたらと思う。